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2013.8.18. 三度目と当たり

 ミューザ川崎シンフォニーホールのマチネーで佐村河内守《交響曲 第1番“HIROSHIMA”》《弦楽のための“レクィエム・ヒロシマ”》の演奏会を聴く。
 演奏は東京での抜粋版初演と初録音を担当した大友直人指揮東京交響楽団

 これは初夏から始まっているSプロモーション主催の『交響曲第1番全国ツアー』とは別の、日本コロンビアとミューザ川崎の企画で2月の全曲東京初演の時にすでに決まっていたもの。
 しかし会場のロビーでは関係無いはずの『全国ツアー』のプログラムが売られていた。Sが無理矢理ねじ込んだのだろうか。 大体交響曲一曲だけに分厚い2000円のプログラムとはいかなるものなのか? 「○○先生による詳細な楽曲分析」とか載っていても 実際聴く時には大部分の人にとっては何の役にも立たないものだし、演奏会終わってしまったら大概読まれないような気もする。・・・入口で渡される二つ折りのリーフレットで充分だ。

 やはり2〜3月頃のTVの特集の影響だろうか、ホールは満員(自分もチケットはギリギリ滑り込みセーフという有様)。マーラーもブルックナーにも縁が無いどころかベートーヴェンもモーツァルトも聴いて無さそうな人がたくさんいる気がしないでもないが、 こんな機会でも無ければ純粋なオーケストラ作品には一生縁が無かったかもしれないので、こっちがいろいろ憂いても仕方がない。

 それはそうと今回の演奏会は、全く佐村河内作品に触れもしなかった団体による「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」的で、ブーム便乗(というかSのやり方は無理矢理主催者がブームを作っているようなスピリチュアルな臭いを感じる)のような『ツアー』ではなく、パイオニア的存在による演奏の深化を吟味できるという点で大変有意義だ。それに小品だが準新作の初演を聴けるというのも『ツアー』よりもアドバンテージがある。
 準新作とは《レクィエム・ヒロシマ》のことだが、これは2009年に書かれた児童合唱のためのヴォカリーズによる曲を新たに弦楽5部のために編曲したもの。もともと歌詞の無い曲だったので弦楽に置き換えても零れ落ちる原曲からの情報は少ないはずだ(新たに加わったり、失われる「意味」はあったかもしれないが)。肝心の作品は大変静謐な曲で、開始直後はヴォーン・ウィリアムズやホルストの弦楽作品に近い印象も受けたが、その響きの背後から遠くバードやタリスなどの教会音楽を思わせる純粋な祈りの「言葉」が聴こえてくるようだった(個人的には交響曲の後のクールダウンとして聴くのに相応しいと思う)。

 交響曲については、前述の通り東京初演やレコーディングで数回演奏している面子ということもあって、2月の日本フィルの時よりもさらに安心して聴くことができた。なによりCDで聴かれるよりも一層作品が手の内に入り、自由度が増し、さらにエモーショナルでスケールの大きい演奏となっていたと感じた。
 その他仔細についてはここよりももっと真面目なサイトやブログで書かれていることなので自分が繰り返そうとは思わないが、ただこういう演奏ならばもう「ヒロシマ」とか作曲者がどうとか、いちいち十字架掲げなくても純粋な音楽作品として捉えられていくのではないだろうか、と思った。誰の意向か定かではないのだけれど、この曲は初演時のようにただの《交響曲 第1番》でよかったような気もするのだ(もちろん根底に「ヒロシマ」があることは否定する必要は無いけれど)。語弊を恐れずに言えば、これは「聴けば解る」曲なのだから。

 終演後、渋谷へ行きタワーレコードで取り置きを頼んでおいたBBCミュージックマガジンを引き取る。
 今回は本誌特集はウラディミール・ホロヴィッツ。付録CDもホロヴィッツで、1982年のロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのリサイタルから。BBC音源で数年前に一部の曲目はRCAからCDでリリース済みだったらしいが、現在は廃盤らしいのでたとえ雑誌の付録といえど再リリースはありがたい。スカルラッティ、シューマン、ショパン、ラフマニノフ等のホロヴィッツの得意曲が並んでおり、時期的には完全に枯れてしまう(枯れたホロヴィッツも面白かったが)直前のまだ覇気の漲っていた頃のホロヴィッツの最良のパフォーマンスを聴くことができる。中でもプログラム後半のショパンの《バラード 第1番》とラフマニノフの《ソナタ 第2番》はとても録音当時79歳とは思えない豪腕ぶりに圧倒される。前号に引き続き、今回の付録も「当たり」。


2013.8.3-4. チェリボセブンってもう10人以上いるやんw


 両日共、西武球場で『NANA MIZUKI LIVE CIRCUS 2013』

 直前まで原稿作業だったのに、休み無しに遠出することに。同じ遠出ならいっその事地方へ行った方がいいが、そんな状況でもなかったので仕方がない。
 当然だが、池袋からの西武線は超満員。通りすがりの一般人が誰かのTシャツに「LIVE云々」と書いてあったのを見かけたのだろうか、「あー、今日はモモクロのライヴかー」と言っていた(笑)。ちがうよー、それも確かに同じ日だったけど会場がちがうよー。
 西武球場に着いてみると、案の定物販は長蛇の列。限定モノが多いのといつもながらのスタッフの客捌きの悪さが大体の原因だが、今回はねんどろいどなどというものまであるのでさらに大変なことに。
 ライヴ自体はいつも通り安定した内容。メリハリのある構成とスピーディーな展開は約3時間が大変短く感じられる(昨年まであったプレゼントばらまきコーナーが無くなったのも大きい)。それもこれもメンバーのテンションとスタミナが持続できているからこそだが。
 あと、アンコールでのたった1曲にそれぞれゲストで日笠陽子(3日「不死鳥のフランメ」)と西川貴教(4日「Preserved Roses」)が出てきたのは豪華。

2013.7.31. プロムス前半戦

 7月12日に開会した『BBCヘンリー・ウッド・プロムナード・コンサート(プロムス)』
 今年はワーグナーとヴェルディの生誕200周年、ブリテンとルトスワフスキの生誕100周年やストラヴィンスキーの《春の祭典》初演100周年など、いろいろな記念の年に当たるためにそれぞれの特集のような演奏会が企画されている。
 ワーグナーは《リエンツィ》《ローエングリン》《マイスタージンガー》を除いた主要なオペラが会期中にセミ・ステージ形式で演奏されるが、中でもバレンボイム&ベルリン・シュターツカペレの《ニーベルングの指輪》全4作上演は「無茶しやがって」という感じ。 いくらお祭といっても大概にしろという気がしないでもないが、実行できてしまうところが凄い。BBCでは春にメトロポリタン・オペラの《指輪》を生中継をしたばかりというのに、ちょっと間が無さ過ぎないか?計16時間のオペラなんか頻繁に聴きませんがな(笑)。 他に会期中にチャイコフスキーの交響曲7曲全て演奏するという企画も(没後120周年だからか?)。

 とりあえず7月中に行われた演奏会で特筆すべきものを挙げると、初日(7月12日)のサカリ・オラモ指揮BBC交響楽団の演奏会は前半のラフマニノフの《パガニーニの主題による狂詩曲》とルトスワフスキの《パガニーニの主題による変奏曲》 という同一の主題(カプリース第24番)を使い、演奏形態もほぼ同じ(ピアノと管弦楽)2曲が独奏のスティーヴン・ハフの妙技も手伝って胸のすく秀演となり、後半のヴォーン・ウィリアムズの大作《海の交響曲》は北欧出身でありながら 最近イギリス音楽に力を入れているオラモの堅実な指揮によって聴き応えのあるものとなっていた。

 7月14日のフランソワ=グザヴィエ・ロト指揮ル・シエクルの演奏会は件のストラヴィンスキーの《春の祭典》に焦点を当てた好企画。まず古楽器オーケストラであるル・シエクルがストラヴィンスキーを演奏するだけでも凄い(一昔前までは冗談の範疇だったのに・・・) が、その前座でバロック時代のリュリとラモー、ロマン派のドリーブとマスネといったフランスのバレエ作品ばかりを演奏するというのが面白く、200年の間にパリで演奏されたバレエ音楽が一夜にして俯瞰できたことになる。 作品の成立時期に従って奏法を適切に変えていくル・シエクルの演奏とロトの解釈は見事というほかない。この流れで最後に《春の祭典》を聴くと、型破りなこの曲が急に現れたのではなく歴史的必然だったのだと思えてくる。

 7月20日のアントニオ・パッパーノ指揮サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団他はヴェルディ特集で、弦楽四重奏曲の弦楽合奏版と《レクィエム》の“リベラ・メ”のオリジナル版(当初《ロッシーニのためのレクィエム》として書かれたもの)と《聖歌四篇》 という「オペラ以外のヴェルデイ」を堪能できる高密度な内容。

 7月30日のダニエル・ハーディング指揮マーラー室内管弦楽団は“ハ調”特集ともいうべきもので、モーツァルトの《フリーメーソンの葬送音楽 ハ短調》に始まり、シューマンの《交響曲 第2番 ハ長調》、モーツァルトの《ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調》 (独奏はポール・ルイス)、シベリウスの《交響曲 第7番 ハ長調》と続く、というなかなかありそうで無かったプログラム。そしてアンコールもモーツァルトの《交響曲 第41番“ジュピター”》の終楽章(ハ長調)という徹底ぶり。

 7月31日のバリー・ワーズワース指揮BBCコンサート管弦楽団は“ブリティッシュ・ライト・ミュージック”特集。「ライト」といっても所謂セミ・クラシック的なものではなく、聴き易くとも結構玄人好みの選曲である。エルガーの《子供の組曲》のように普通に 可愛いのや、ウォルトンの《王冠》のような名曲もあるが、小川典子とキャサリン・ストットが弾くアーノルドの《三手のためのピアノ協奏曲》(一人が両手、もう一人が左手だけ)のような技アリの曲、バントックの《土壇場のピエロ》などという珍しい曲も並んでいて、聴き手としては歯ごたえのある「ヘビー」な内容だ。

 オーケストラ以外の室内楽公演では7月22日のウエルガス・アンサンブルによる15〜16世紀のポーランドの合唱作品を中心としたもの(ルトスワフスキの祖国ということで焦点が当てられたのだろうか)が素晴らしく、未知の作曲家達によるものばかりだったが 非常に美しい作品が多いことがわかった。こういう作品群がCDとして店に並んでいたとしても、全く気にも留めない可能性は大なので貴重な機会だった。室内楽公演は古楽や現代ものが多いが、比較的プログラムが小規模で演奏家によるトークなどを 途中で挟んだ気軽なものなので、演奏会というよりは一つの番組として毎回面白く聴かせてもらっている。

 さて8月にはガーディナー、ヤンソンス、ゲルギエフ、サロネンといった大物が登場予定。録音するのはいいけれどHDDの容量が心配(笑)。



【拍手レス 2013.7.6-31.】

> どう見ても85cm以上です、本当に、本当にありがとうございました。 緑>黄緑>桃ときたら公式ではないが赤とか白とか・・・黄色sは種別的にナイか。
どう見ても10cm以上大きいです。赤とか白もアリだと思いますが、今回はなぜか紫に行ってしまった。

> ルカさんは公式的に巨乳なんですが、なぜか痴女扱いされることが多いのが可哀想かも。それもミク溺愛状態だったり。
あと同性愛設定多いですよね。ああいう人ほど純な方が創作的には面白いんですけどねえ。

> ルカで感慨深いのは、たこルカ激誕ですかねー(え あれは、なんとも言えませんでしたねぇ、まさにクリエイティブのなせる技なのかも。第3弾で亜種の「君は馬鹿だな」さんか、お酒好きな姉御希望でございます。 そういえば、大間産マグロが好きという設定は、たこルカから来てるんですよね… すべてはたこルカできまったルカさんではあります。 んで、絵の出来を最後に。いいぞ、もっとやれ。
あれ、タコを連想させる要素が思い当たらないんですが、どういうことなのw 赤系はそのうち描きたいです。

> ルカさんムチムチで最高です!ボカロキャラで一番好きなので、sameさんが描いてくれてスゲー嬉しいです。乳首がもう少し上向きな感じだったら即死してました。。。危うかったよ、本当に。
勢い余って(?)、予定より肉付きが良くなりました。あの状態で乳首が上向きだと本体が下方向に「ばるんっ」とこぼれちゃいますが、よろしいでしょうか(笑)。

> ルカさん登場ですでに不足分を超えてしまっている!(^^タコルカからの変身解除直後と勝手に想像しています。
ええ、それで今回やや控えめな人に出てもらいました。あと変身解除後がアレということは変身する度に服がバラけちゃうのかな。

> ルカさん良いですね! アクセサリが大人っぽくて、すごい魅力的
装飾品は資料無しで割りと勢いで描いちゃいましたが、上手いこといきました。

> ルカ姉来た!ダブルラリアットは名曲ですよねーところでMEIKOはまだですか?!
この曲では英語で歌ってネコが炒飯作ってるムービーが気に入っております。赤系はそのうち。 何気にリクエストが多いですね。

2013.7.21. 付録大当たり

 BBCミュージックマガジン8月号入手。特集はプロムス最終日に登場するマリン・オルソップの特集。『ラストナイト』に登場する初の女性指揮者ということで大注目。

 付録CDはニールセンの《交響曲 第5番》とシベリウスの《交響曲 第5番》という、北欧を代表する2人の名作。
 奇しくも同じ番号だが、シベリウスの曲が自身のこれまでの50年の人生を総括してその先へ向かおうと高次元に凝縮された書法に腐心した(それは最後の《第7番》や《タピオラ》で達成されるが)「静かな」作品であるのに対し、 ニールセンの方は第1次大戦の影を色濃く落としつつもそれをかなぐり捨てようとする爆発的な生命力を秘めた「動の」曲といえる。
 ニールセンの交響曲は第1次大戦の終わり近くで発表された《第4番“不滅(消し難きもの)”》が有名だが、作品の完成度としては《第5番》の方が上だろう。

 2曲ともトマス・セナゴー(Thomas Søndergård / 検索すると大体「トーマス・ソンダーガード」と英語読みになっている)指揮のBBCウェールズ・ナショナル管弦楽団の演奏で昨年10月(シベリウス)と 今年4月(ニールセン)のライヴ。同じ年に生まれライヴァルと言われつつも全く違う道を歩んでいった二人の作風の違いを明らかにせんとした秀演。今年の付録CDでは今のところ一番の「当たり」じゃないだろうか。 毎度ながらこれが未発表(一度BBCでは放送されているが)の新録音なのだからびっくりする。

2013.6.22. 価格崩壊と過ぎたるは及ばざるが如し

 BBCミュージック・マガジンが入荷した、という連絡がタワレコ渋谷店から来たので引取りに行くと、クラシック・フロアの入口でワゴンセールをやっていた。
 大体は大手レーベルの廉価盤シリーズの余剰在庫分等が投売りされてるのだが、なぜかここにシャンドスの最近のものが数点入っていた。その中でも昨年のリリースで食指は動いたものの、さすがに高価なので保留にしていたバーナード・ハーマンカンタータ《モビー・ディック》《弦楽のためのシンフォニエッタ》の入ったSACDが790円で売られていたので驚愕。新入荷時は3455円だったのに!?そんなに売れてないのか?ともあれ、これは千載一隅、せっかくだから俺はこの赤い扉CDを選ぶぜ。

 アメリカの作曲家ハーマン(Bernard Herrmann, 1911-1975)は数々のヒッチコック映画の音楽を担当したことで名高いが、純粋な音楽作品も残している。カンタータ《モビー・ディック》はあの小説『白鯨』を素にした作品で、当初の計画では歌劇だったらしいがステージでの表現上の問題で実現せず、より現実的な声楽とオーケストラの作品として完成され、バルビローリ指揮のニューヨーク・フィル他によって初演されたというもの。壮絶な戦いの場面が45分ほどで語られるが、流石に劇伴を生業としていただけあって、原作を圧縮した超展開の割には違和感無い流れで劇的な描写にも不足が無い。演奏はミヒャエル・ショーンヴァント指揮デンマーク国立交響楽団&合唱団と独唱の主役級がイギリス勢という布陣で、なかなか引き締まった音作り。エイハブ船長役のデヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(度々来日してお馴染み)がスゲェ。
 《弦楽のためのシンフォニエッタ》はあの《サイコ》の音楽のプロトタイプと言われている作品。シェーンベルクに師事したこともあるというのが大いに納得できるソリッドな響きがイカしている。

 ところでBBCミュージック・マガジンの方は7月12日から始まるプロムスの特集で全日程が掲載されている。もっとも別売りのガイドブックがあるので簡略化されたリストだが。
 付録CDは過去のプロムスでのBBC交響楽団のライヴから2曲。2010年のポール・ルイス独奏、ビェロフラーベク指揮のベートーヴェンの《ピアノ協奏曲第1番》(この年はルイスが確か何回かに分けてベートーヴェンのピアノ協奏曲を全部演奏していた)と、1973年のボールトの指揮したホルストの《惑星》(もしや初CD化?)が入って収録時間82分以上!
 一昔前は70分超えるとジャケットに「70min+」などと表記して長時間録音をアピールしていたものだが、今やCDで80分超えも珍しいものでもなくなってしまった。それにしても普段は50分くらいしか入っていない付録の時もあるというのに、これは逆に無理矢理詰め込んでいる気がしないでもない。たぶんそのせいだと思うが、《惑星》の各楽章の間も削っているらしく少しあわただしい印象を受ける。あの壮絶な「火星」の後にほとんど休み無して「水星」に入るとは思えないし、終演後の拍手もカットされてしまっていた。晩年のボールトの名演だけに少々残念な気もするので、これは別途楽章間も復元した音源で再リリースしてもらいたいものだ(ICAあたりで)。




【拍手レス 2013.6.26.-7.5.】

> グミのグミ×2で我慢しろ、と。大きいのは大正義ですよね。おっ(略
我慢するっつーか、なんか世間(ボカロ厨)的にミクさん大きくないらしいので。でもTda式初期版とか大きいじゃないか。

> Top絵GUMIさん こんだけ豊かなら、内角攻めで間違いなくデットボールですよ!(^^
世の中に出回っているGUMI絵は(良い意味で)デッドボールが多いですよね。次回描く時はもっと内角狙いにしますよ。だってそういうキャラだし。(えー

> GUMIさんの不幸は、オフィシャル絵が微妙な出来なところ… いえ、某漫画家さんのデザインが悪いっていうんじゃなく、ポーズが…
こういうのはメーカー側の意向とか外野の意見とかいろいろ絡んでなんだかよくわからない結果になることが多々あるので(個人的経験上)、なんとも言えんのですよね。

> GUMIさん、スタイルはいいので公式絵より他の方々が描くのが可愛く見えるのは、ある意味公式殺しですな…
> なお、Ver2として比べると、より自然に聞こえるのはGUMIさん。 まぁ、公式絵準拠でいけば、ミクさん出てないですが、非公式だと…(汗
公式の設定&絵はあくまで「素材」でそのエッセンスが生かされていればOK、というのがクリプトン(&ピアプロ)的な見解ですよね。それは他社ボーカロイドにも適用されるので、より可愛いのやカッコいいのや美しいのが出てきてもいい状態なわけですが、ここがフツーのアニメとかと違う特殊な一次&二次創作環境ですね。
あと、さすがに後発だけあってGUMIの発音等はVOCALOID2より優れている部分があって自然な歌唱の曲も多いんですが、なーんか自分が聴いてるGUMI曲は似たような曲調が多いのが気になります。自分がそういうものにしかぶち当たってないのかもしれませんけど。

2013.6.15. 本当は九州限定

 近くのスーパーへ行ったら、マルちゃんの「バリうまごぼ天うどん」と「バリうま黒とんこつラーメン」などというものが売られていた。どうやら九州地方限定販売のものらしい。ウチの近所は九州や沖縄出身の人が多く住む町で(この辺のあらましを詳しく書くとヤになるので終了)、商店の経営者もその筋の場合があるのでこういうものがアンテナショップでもないのに時々売られている(ルートビアとかw)。
 「黒とんこつ」の方は個人的にリピートは難しい感じだったが、「ごぼ天うどん」は普通に美味しい。ごぼ天は福岡あたりではうどんのトッピングでデフォルトらしいが、関東でそんなコトはない。それに関東でゴボウの天ぷらといえばきんぴらのように千切りしたものを数本まとめて衣を付けて揚げるが、福岡のごぼ天はスライスしたものを揚げている。・・・どうでもいい説明な気がするが、ともかくこのうどんはなかなかの当たりだった。当たり前だが汁が関西風なのもいい(関東人なのに関東版の「赤いきつね」とか味が濃すぎて苦手)。




【拍手レス 2013.6.18-25.】

> 吉野家コピペなんて、絶望先生のOP以来久しぶりに見ましたわ。ちょっと笑って、マジに苦笑。オペラミクとSame.さん、災難でしたね。
客層はたぶん渋谷慶一郎のファンと前衛オペラが観たい人が半分くらいで、他はボーカロイドファンの中でも物好きな人とごく僅かにファッション的にボカロもチェックしてますよ的な人だと思います。流石に家族連れはいなかった・・・と思いますが、実際に観て頭がパニックした人は多かったでしょうね。あんなに解り易い《イーハトーヴ交響曲》ですら理解不能な人がいるくらいですから、いたしかたない。

> 公式サイトによると「THE END」は10.1サラウンド音声だそうです。これでは、パッケージで再現するのはまず不可能ですね。実際に観てみたいところですが、いかんせん私にはチケット代が高すぎます…。
音は百歩譲って2チャンネルでもいいと思うんですが、映像が問題ですね。あの立体感こそホールでないと無理ですね。パッケージ化する時は新たに2D用に編集し直す必要がありそうですが、そうなるともう別物ですし、それこそ「ただの映画」になってしまいます。チケット代に関しては・・・演者が何人も出てくれば納得もいくでしょうけど、「THE END」はステージにほぼ人間はいないも同然ですからね。「映像作品じゃないか」と思っちゃったらこんなに高いものはありません。

> THE ENDは、オペラになじみがないので、ミク好きではありますが、観に行く気がイマイチ…九州でやるかもありますし。
まずオペラとは何だ?という前情報が無いと敷居が高くなるという難点はあります。が、観る人の「ミク好き」の方向性にも左右されそうです。場所に関しては舞台の仕込みが大変そうなので、簡単にどこでも上演というわけにいかないでしょうね。それゆえに入場料が高くなる・・・と。

> ミク厨が騒がないのは、見ても理解できない(オペラになじみがないから)ではないかと。下手につっこむと突っ込み返されるし、それが最も避けたい事態ですからね、 そういう人たちは。
歌を題材にするとはいえ、ボーカロイドとオペラは普通は対極の位置にあると思われているので、物好きな人ならともかく大部分の人はもともとアウト・オブ眼中だったんでしょうね(渋谷慶一郎で引っかかる人はいたかもしれないが)。普通のユーザーやPと違う方向からのボーカロイドへのアプローチに対して、拒絶反応が起こるのは予測の範囲内ですが、先入観無しで観た人の意見は聞いてみたいところ。否定意見でも。まあ「このモデル可愛くない」とか論外ですけど。

> コワイナーの続きは、再開するめどはあります? どうなるのか、続きが気になってはいます。
続きはあるんですが、あの後の展開が1コマや4コマで表現しにくいので思案中です。

2013.6.1. キマシタワー(別の意味で

 ミューザ川崎シンフォニーホール(そういえば震災後のリニューアル以降初めて行った)で、広上淳一指揮・東京交響楽団『現代日本音楽の夕べ・シリーズ第16回』を聴く。
 この演奏会には『伊福部昭生誕100年記念プレコンサート』という副題がついている。パンフレットを読む限りは今後も似たような企画があるように見えるのでなんかもう「プレ」とかどうでもよくね?という気がしないでもない。そんないちゃもんはまあ置いといて、副題の通り、今日の演目は伊福部昭(1914-2006)のバレエ音楽を2曲。どちらも初演された後、楽譜が行方不明等の理由で長い間演奏されなかったもので、この日が久々の復活上演となる(ただし踊り無しの演奏会形式)。
 会場には数々の怪獣絵画で知られる開田裕治画伯もいらっしゃっていた。あと例の怪しいサークルの人も。そりゃあ来ますよね。

 前半は1950年初演の《プロメテの火》。著名な舞踏家であった江口隆哉(1900-1977)との共同制作によるもので、当時は大変な評判を呼んで全国で何度も上演されたという。その時オーケストラが使えない会場のために2台のピアノのためのヴァージョンも作られたが、いつの間にかフルオケのヴァージョンの楽譜が行方不明になってしまってオリジナルの形での上演が不可能になっていたらしい。
 今回めでたく発見されたオケ用のオリジナル・ヴァージョンでの演奏ということだが、もう最初のフレーズから「キタキタ━━━━━━(゚∀゚≡゚∀゚)━━━━━━!!!!!!!!」で、伊福部節以外の何物でもない。バレエ自体はプロローグと4部からなり、全曲約50分がほぼ切れ目なく演奏されていく。一定のリズムと旋律の執拗な繰り返しだが(踊りもないが)、不思議と場面展開は想像が付く。「なんかずっと同じで飽きた」という感想も聞くが、アウト(笑)。伊福部昭の音楽は「ソナタ形式使わない、転調しない、対位法使わない」と、西洋音楽の伝統的要素をほぼ無視しているところが凄いのだ。ハヤシライス専門店で「カレーだと思ったのに辛くない!」と言うのは筋違い。

 後半はこれも最近総譜が見つかったという《日本の太鼓“鹿踊り(ししおどり)”》。東北地方に伝来する鹿踊りに取材した8人の踊り手のための音楽で、これも江口隆哉との共同制作で1951年に初演。実は後年に演奏会用ヴァージョンとして編曲されていて、そちらは《ジャコモコ・ジャンゴ》と名付けられていて録音もあるのだが、やはりオリジナルも聴いておきたいところ。
 今回は踊り手がいないので、オーケストラの打楽器奏者たちが和太鼓とササラ(本来は踊り手が背負って踊りながら床に叩きつけて鳴らす長い棒/右写真参照)を担当していたが、これが大変効果的なアクセントで土俗的な雰囲気満載。最後はマーラーの《3番》を思わせる巨人の歩みの如き高揚。これは是非舞台付きで観てみたい。実は演奏中ステージ後方に設置したスクリーンに別の催し物の際の鹿踊りの映像を流していたが、当然シンクロしていないので単なる雰囲気作りにしかなっていなかったのだ。尚、ステージには何本もマイクがあったので後日CD化されるのかもしれない。

 帰宅してから入場の時に渡されたチラシを見ていたら、来年の『生誕100年記念コンサート』では《SF交響ファンタジー第3番》、《交響的エクログ》、《リトミカ・オスティナータ》それに《交響頌偈(じゅげ)“釈迦”》が演奏予定らしい。た、大変だー!むろみさーん!!(違

2013.5.24. 前衛の皮を被った古典劇

 渋谷のオーチャードホールで渋谷慶一郎・作のボーカロイド・オペラ《THE END》を観る。昨年山口県の情報芸術センターで初演されたものの改訂版初演で、今回は23日夜と24日昼・夜の計三回公演。その前日に関係者(や芸能人)のみを招待したプレミエや衣装デザイン担当をしたルイ・ヴィトンのプレゼンテーション等が行われた模様。
 口さがない連中は「芸能人を招待してステマを打つ目的で掛かった費用を補填するために一般販売のプラチナ席が10000円で、とんだボッタくり」などと言っているらしいが、笑止千万。『SWITCH』スタッフによるプログラム(2000円、右図参照)付きならば、安い席で観て別でプログラム買うよりもはるかにコストパフォーマンスが高いといえよう
 通常、オペラ公演は人件費が途方もないのでオーケストラ公演などよりも高い入場料なのが当たり前だが、この辺の話をすると数年前の仕分け騒動や橋下某の無教養発言にまで及んでしまってイヤな感じになるので省略。何れにせよ「新しい創造行為を目撃するために相応のお金が払えますか?」という点が肝心なのだ。ちなみに手元にプログラムはあるが未だにパラ読みした状態のため以下の文章は全く見当違いかもしれないので、ご承知おきを。

 オペラは暗闇のホールで四方のスピーカーからミニマル風(にノイズが混じる)の音楽が流れるところから始まる(いつもの渋谷慶一郎・・・ちなみに自分はこの人の音楽は別に好きではないが、それは自分がいつもショパンが好きではないと言っているのと同じレベルの話)。ステージ上には互い違いに組まれた3面(+1面)の大きなスクリーンと、その奥に舞台下手に小さなスクリーンが3面組み合わされた空間があり、そこにキーボードを前にした渋谷慶一郎本人。そこで姿を見せない「語り手」と、大スクリーンに映る「ミク」と「種別特定不能な生物」と「ミクの形をしたよくわからないもの」の対話、それを静観する(一声も発さない)「渋谷慶一郎」が姿を現したり消えたりする、という形態で進められる(ミク以外の声にはリンを使用している模様)。

 具体的なストーリーは有って無いようなもので、映像的には

 “ミクはとある一室に居て、そこへ尋ねてくる変な動物に「キミ、死ぬよ」と言われる”
 “部屋の外にミクの形をしたよくわからないものがうろうろしている”
 “海の底に沈んでいって息が止まっちゃうミク”
 “はるか彼方から伸びてきた手に首を絞められるミク”
 “よくわからないものと携帯電話で押し問答を繰り返すミク”
 “「ボクと一緒になれば何もかもわかるよ」とか言われて変な動物に丸呑みされるミク”
 “丸呑みされてキマイラのような姿になって四足で走り回ったり空を飛んだりするミク”
 “四肢バラバラになるミク”
 “「ミクは死んでいるの?眠っているだけなの?さあ?」”

 という感じだが、これでは何の事だかさっぱりわからない。

 しかしこれらの「絵」とそれぞれのキャラ(?)の「死生観」と「言葉」と無窮動風の「音楽」を、受け手のそれぞれの「中」で再構成すると、何のことはないフツーの「悲劇としての」オペラの骨格が見えてくる。しかもかなり私的な題材のもので、自分は真っ先にプーランクの《人間の声》(あるいは単に《声》とも呼ばれる)を連想した(他にシェーンベルクの《期待》とか)。
 プーランクの《人間の声》は自殺を目前にした女が昔の恋人に電話をかけて思い出話をするというもので、舞台は女の寝室だけで女以外は出てこないし歌うのも女一人。しかも死を前提にして、外の世界とコンタクトを取って拒絶したり受け入れたり、その会話の背景で(声を出さない)相手が明らかに観客に意識されたりする。さらには(なにぶん昔の時代なので)電話が混線して違う相手が出てきたり、交換手に女が文句言ったりする(これから自殺しようという女なのにw)。これはまるで《THE END》の中の時間推移やイベントではないか。いや本当は《THE END》が《人間の声》をなぞっているというべきなのだが。ただし、《人間の声》は最後に「終わり」が見えているが、《THE END》に「終わり」は確実には見えていない。

 もちろん制作スタッフが《人間の声》を意識していたかどうかは定かではないが、「オペラ」で「対話劇」で「死生観」を題材にした結果、自然とこのような体裁に整っていったのではないかと考えられる。
 だから、これを「金をかけた大規模なMMD」とか「わざわざコンサートホールで観る映画」などと捉えてしまうとホントに何のことだかさっぱりわからないものになってしまう。実際、終演後のカーテンコール(ここだけいきなり旧態然としている)で渋谷氏その他スタッフが3人くらい出てきた時の客の拍手ときたら何とも歯切れの悪いものだったし(なんか出てきたから拍手しとくか、みたいな)、死んだ魚のような目をして席を立つカップルとか、「ミクが可愛くない」とか、本当に「エヴァのパクリじゃん」と言ってる人とか、割と予想通りの惨状(笑)が展開していたのであった。

 この作品は今年の秋にはパリのシャトレ座で公演予定らしいが、はるか昔から様々な舞台作品を上演してしょっちゅう「殺伐とした世界(笑)」になったりするオペラのホームグラウンドでどんな反応がみられるか見ものである。日本よりはまともでエキサイティングな論争が起こるだろう。

 ・・・というかボカロ厨に限ってこの件に関してはだんまりですけど、どういうこと?



【拍手レス 2013.5.16.-6.17.】

> 三番目・・・ああ、レンきゅんのオテ。ンコの事ですね、判ります>大きいのは三番目の人
おい!わかってて言ってますね(笑)?三番目の人は腕に「03」の人よ?

> 64秒ミクさん。魅惑のヘソちらです(^^;じゃなくて、少し昔のSame.さんの柔らかいラインが出てて良いです。
最近線画の段階からフルデジタルだったのですが、ミクのシリーズの線画は今のところ手描きでやってます。やはり線がやっこくなりますね。量産できないけど。

> 最近SonyのXBA-40(カナル型ヘッドホン)を買いました。流行りの重低音は出ませんが小音量でも細かい音が出ます。そのせいもあってか長時間聞いても疲れないような感じです。意外な音を出すので聞かなくなったCDをもう一度引っぱり出したくなるのも面白いところです。
音が新しくなる(なったと感じる)と、やっぱり聴き直したくなりますよね。自分は昔、耳が大ピンチになったのでそれ以来普段はヘッドホンを使わないんですが、それでもたまに必要になるので手元に置いておきたいものです。やはり、インパクトよりは聴き疲れないというのが重要です。

> 三姉妹、おかわりで。二杯目はちょっと不味かった。
あー、みんな無かったことにしてますね、主に隣に引っ越してきた奴のせいで。

2013.5.12. まったく小学生イギリス音楽は最高だぜ

 渋谷のNHKホールでNHK交響楽団第1754回定期公演

 入口でいきなりN響機関紙『フィルハーモニー』(定期会員には毎月配布される)を渡されたので何事かと思ったら、今シーズンから各定期公演用のパンフレットが廃止され、『フィルハーモニー』内のコンテンツとして統合されたようだ。今までは非定期会員が『フィルハーモニー』を読みたい場合は別途300円払っていたのだが、それが無くなったのはありがたい。それに読響や新日本フィル等の大半の在京のオーケストラでは概ねこの形を採っているので、N響の今までの発行形態の方が経費的には無駄だったのだ。

 今日の指揮は尾高忠明。コンマスはS氏ヽ(´∀`)ノ。曲目はエルガーの序曲《フロワッサール》ディーリアスの《楽園への道行》ヴォーン・ウィリアムズの《バス・テューバ協奏曲》ウォルトンの《交響曲 第1番》というオール英国プログラム。縁の無い人には全く訳のわからない内容だが、英国音楽愛好家には垂涎のラインナップ。そのせいか客入りはいつものN響定期よりやや少なめだが、いい加減常連客も食わず嫌いは止めて欲しいところだ。なにしろ指揮者が指揮者だけに演奏内容には全くハズレが無いのが保障されているのだから。

 前半1曲目の《フロワッサール》は同じエルガーの演奏会用序曲の《コケイン》に比べると(日本では)演奏頻度が低い気がするが、「威風堂々」な曲想や親しみやすさではひけはとらない佳作だろう。主題の描き分けや曲の構造を明確にする尾高さんの指揮は本場のイギリス人指揮者よりもわかりやすいかもしれない。
 《楽園への道行》はディーリアスの書いた歌劇《村のロメオとジュリエット》の中の間奏曲をディーリアスの理解者であった往年の名指揮者トマス・ビーチャムが編曲した、愛すべき美しい小品。尾高さんはBBCウェールズ・ナショナル管弦楽団や札幌交響楽団でも演奏しているが、この日の演奏もそれらに勝るとも劣らない美演。
 前半最後の曲はヴォーン・ウィリアムズの《バス・テューバ協奏曲》。キワモノのように思われるかもしれないが、実はブラスバンド関係者には神曲扱いの逸品である(客に学生風の人が多かったのは、やはりこの曲のせいだろう)。エキゾチックな民謡風の第1楽章と無窮動風の第3楽章はユーモラスで朗らかなのにソロに超絶技巧を要求する難曲。そして中間の第2楽章は英国作曲家特有の美しい牧歌。
 今回のソロはN響の首席テューバ奏者の池田氏。ジョン・フレッチャー(ロンドン響首席)やアーノルド・ジェイコブ(シカゴ響首席)の録音と比べては分が悪いが、 あの小回りの利かない楽器を駆使することを考えれば大健闘といえるだろう。

 演奏会後半はウォルトンの《交響曲 第1番》。尾高さんがプロムスでBBCウェールズ・ナショナル管弦楽団を振って大成功し、その後日本でも東京フィルや関西フィルでも指揮していて、すでに十八番ともいえる曲目だが、N響としては意外にもこれが初演目。管楽器と打楽器に非常な負担を強いる作品なので数年前の管楽セクションがヘタれていたN響では目も当てられなかっただろうが、今のN響ならば安心して聴ける(コンマスもS氏だし←大事なことなので二度言いました)。冒頭から各楽器間のバランスも絶妙で、ウォルトン独特の遠近感のあるオーケストレーションが具現化されていて、第1楽章後半の疾走感や第4楽章終盤のカタストロフはN響としては稀なほどにエンターテイメント性を押し出していたように思われた。


ウィリアム・ウォルトン William Walton (1902-1983)
交響曲 第1番 変ロ短調 (1931/35)

尾高忠明/BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団
(BBC Music Magazine BBCMM123)
 BBCミュージック・マガジン1994年8月号の付録CD。時々もの凄い値段で取引されている。1993年7月、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ。これが評判となり、世界各地からこの曲の指揮の依頼が尾高さんに舞い込むようになったという。それしてもこの曲のカッコよさは異常。そしてこの演奏のテンションの高さも異常。きっとサンダーバード2号が飛んでるね、追跡戦闘車も走ってるね(これで大体どんな曲か想像できると思うが)。尚、併録は同じ時期に行われたアンドリュー・デイヴィス指揮BBC交響楽団による武満徹の《フロム・ミー・フロウズ・ホワット・ユー・コール・ミー》のイギリス初演ライヴ。




【拍手レス 2013.5.1-15.】

> sameさん的にヴヴヴどうなん?(奈々つながりで) って言われても困ると思いますが。 ガルガンティアが王道ならヴヴヴは邪道王道。っていうか覇道
二つとも観ていないので何もコメントできません。歌も聴いてない(キング純正じゃないから)。今は『むろみさん』と『うたプリ』しかちゃんと観ていない気がします。

> ミクさん、胸が小さいと思い悩んでいる絵、と脳内変換しておきました(ぉ>TOP絵
いやいやミクはこのくらいでいいんじゃないのかと。大きいのは三番目の人とか他社系列の人に担当していただきます。

> アペンドさん、前はだけ過ぎ。ときに、なんで64秒後なんだろう?? 39の語呂合わせでもなさそうだし。
あ、起き上がったところなんで。これから着ます。秒数には特に意味は無いです。起動してから全体が正常動作するまでにそのくらいかかるかしらと。

2013.5.5. GW恒例のコース

 東京ビッグサイトでコミティア。これで第104回目。毎回行っているわけではないが、コミケのように「その時買わないと次には売ってない」などという本はあまりないのでいろいろ安心(成人向けは必ずしもそうとは言えないが)。とはいえそんなにドカ買いすることもなく大昔から定期的に周っているサークルを数箇所訪ねた後は、見本誌を流し読みしたり企画展を眺めたり。
 その企画展だが、今回はなぜか手塚治虫が題材になっていて、手塚作品のキャラクターを様々な人が描いた絵が展示されていたのだが、いくら部品が間違っていないとはいえ手塚テイストが消し飛んだものを見せられても「どう反応していいのかわからないよ」(by凛子)。
 あと、オムそばの屋台がなぜか大行列。

 その後いつもの流れで秋葉原に出て、この時期に開催されている『絵師100人展』を観る。テーマが「日本の一景」という非常にぼんやりしたものなので、とどのつまり「もう何でもいいじゃん」という気がしないでもない。
 それにしても真面目に描き込んだ作品が多いので一点一点は見ごたえはあると思うが、基本的に大半の絵が「萌え」に傾いているので、そういう意味では展覧会全体としては平板な印象を受けてしまうのはいたしかたない(今回は海外からの招聘作品も無かったのでその点でも面白味に欠けていた)。語弊のある言い方かもしれないが、「Pixvの絵をプリントアウトして並べてみました」状態なのだ(アクリルでがしがし描いてる末弥純さんみたいな人もいるが)。それで何が悪いと言われればそれまでなのだが、本来展覧会というのは絵が並べてあるだけのものではないはずだ。もっとも、「この手の絵」にあまり縁の無い人たち(入場者の内のどのくらいの割合か知らないが)にとってはこのような催し物はある程度有効ではあると思うが。

 そんなことよりさ(総統口調で)、帰りに寄った缶's Barで食べた焼きスパムとオイルサーディンが美味かったんだよ。あと角ハイボールが一杯200円なのは安い(薄いが)。

2013.4.22. 信頼できる職人がまたいなくなる

 次週のコミック1への事前搬入のための発送の準備で半日ほど作業。版が違う本がいろいろあると箱詰めの段階で既に立体倉庫番状態(当日も多分陳列で似たようなことが起きるはず)。

 先週はブリュッヘンの話で終始したが、実は同じ日(正確にはその前日の14日)にイギリス楽壇の重鎮的存在であったコリン・デイヴィスが亡くなっていた。ここ数年のプロムスでのレポート写真を見る限りでは殊の外老いたという印象だったが、とうとうその日が来てしまった。それにしてもウォルフガンク・サヴァリッシュ、『のだめ』(漫画の方)でも御馴染み東京都交響楽団元音楽監督のジェームズ・デプリースト、それに合唱指揮者のエリック・エリクソンと、玄人肌の音楽家がここのところ次々に天に召されてしまう。
 サヴァリッシュもそうだが、デイヴィスは派手なパフォーマンスも新奇な解釈も無い地味な存在だったので日本での評価はそんなに高くなく、来日したところでほとんど話題にならなかったが、世界中のどこのオーケストラでも通用した堅実な音作りは本当に得がたいものだったと思う。

 デイヴィスがPHILIPS、RCA、CBS、LSOレーベルに残した録音には傾聴すべきものが多い。3回も全集録音したシベリウスの7つの交響曲をはじめ、ドレスデン・シュターツカペレ(SKD)を指揮したベートーヴェン(左図)やシューベルトの交響曲全集やバイエルン放送交響楽団(BRSO)を指揮したブラームスの交響曲全集、それに自国イギリスの作曲家エルガー、ブリテンやティペットの管弦樂曲や声楽曲、と枚挙に暇が無いが、ここで自分が挙げておきたいのはBRSOその他と録れたマーラーの《交響曲 第8番》
 デイヴィスはマーラーを主要なレパートリーにはしていなかったようで他に《交響曲 第1番》、《交響曲 第4番》と《大地の歌》くらいしか録音が無いが、その中でもこの《第8番》は数ある同曲の録音の中でも埋もれさせたくない美演の一つといえる。
 おそらくデイヴィスは他のマーラーを得意とした指揮者(バーンスタインやテンシュテット等)とは違って、作曲者の生い立ちやユダヤの血筋等というものなどには一切触れずに、この曲を純粋な声楽付きの管弦楽曲として捉え、ニュートラルな姿勢で楽譜に向き合っていたと思われる。マーラー的なアクも後暗さも全く無い、まるでメンデルスゾーンのオラトリオみたいな仕上がりだが(まあメンデルスゾーンもユダヤ人だけど)、これはこれで立派な演奏には違いない。別に年がら年中「マーラーだからドロドロでグワァ」みたいなものばかり聴きたいわけではないし。

 あと個人的に思い入れがあるのはフォーレの《レクィエム》。SKDとライプツィヒ放送合唱団という面子のせいか、所謂ドイツ的な重心の低くテンポの遅い演奏で、本来この曲の持つ透き通った清楚な響きからは相当かけ離れたものになっている。作品本位で考えればたぶんアウトで一般にはお薦め出来ないというやつだが、「フォーレらしさ」ということを考えなければこんなに凄い演奏も珍しい。残響の多い録音も手伝って、大伽藍に響きわたる歌声と地を這うようなオーケストラの音が異様に壮大で思わず身を引いてしまう。
 全7曲中、第2曲“オフェルトリウム”と第6曲“リベラ・メ”に登場するバリトン独唱のサイモン・エステスがこれまたどっしりした歌い方で大司教に要らぬ説教を聞かされているような気分になってくるが、ここでの伴奏のオケは非常に慈愛に満ちていて絶妙のコントラスト。そして全曲の中心である第4曲“ピエ・イエズス”ではソプラノ独唱で今は亡き(T_T)ルチア・ポップが歌っているが、ここがこのCDの白眉。他の歌手の演奏だと慎ましい祈りやささやかな願いであるこの部分が、なんだか世界の最後の絶唱のように聴こえる(そういう意味では正にレクィエムなのだが)。

 他にデイヴィスにはオペラの録音でも特筆すべきものがあるが、それは別の機会に。

 そういえば同じ日にネヴィル・マリナーの誕生日だったそうで。もうイギリス人はお悔やみすればいいのか祝っていいのか(;´Д`)。



【拍手レス 2013.4.10-30.】

> 先様がもりもり商業誌に掲載 と言うのがファンの希望ですが 中々難しいでしょうか?。
日程と経済的な面で現時点では難しいところです。あとアシスタントがいない。

> 今回のピザッツの作品は、描写が生々しくて、ここ最近では一番エロ度が高かった様に感じました。実体験が多少なりとも 加味されているのかな?、とも思ったりしました。
荷物が山積みでピンチというのは実体験です。でもあんな不動産屋が本当にいたら困る。

2013.4.15. これが最後でもいい?いや、困る。

 再びトリフォニーホールにて『ブリュッヘン・プロジェクト Vol.4(最終日)』を聴く。前の3回で18世紀オーケストラとの演奏会は終わりで、この日は新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮。当初は行く予定には入れていなかったのだが、前回ブリュッヘンの車椅子姿を見てしまい、なんとなく「これで最後になったら嫌だ」と思い急遽席を確保。

 曲目はシューベルトの《交響曲 第5番》と《同 第9番》。特に《第9番》はブリュッヘンが新日本フィルに初めて客演した時にも指揮した曲で、かつて18世紀オーケストラを指揮したCDでも鮮烈な印象を残している。

 まず《交響曲 第5番 変ロ長調 D.485》。朗らかで歌心に溢れた佳品ながら退屈せずに聴ける演奏が少ない曲だが、シューベルト特有のリズムと音形を際立たせたブリュッヘンの指揮に隙はない。思い切って弦の数を刈り込んだ小編成だったので合奏が拙ければ目も当てられないが、新日本フィルのアンサンブルは好調で響きも混濁せず、朝の山の晴れた空のような爽快な音楽が続いた。

 後半はうって変わって大編成の《交響曲 第9(8)番 ハ長調 D.944》。通称「グレイト」だが、今日の演奏はその名に相応しいものだった。別にまだブリュッヘンとの共演が最後と決まったわけでもないのに、オーケストラは最初からもの凄い集中力。楽譜の反復指定を全て実行していたので全曲の演奏時間は1時間程に及んでいたと思われるがそんな長さは微塵も感じさせない。第2楽章の途中あたりから「これはとんでもない名演になる」という予感がし、第3楽章からはもう固唾を飲んでブリュッヘンとオケを見守っていた。終楽章は最近の新日本フィルでは稀にみる最高級の力を発揮していたのではないかと思えるくらいのまさに「激奏」で、曲がコーダに近づくにつれ「終わってほしくない」と思わずにはいられない極めて幸せな時間が作られていたのだった。
 大喝采の後、アンコールは同じくシューベルトの劇音楽《ロザムンデ》から「間奏曲 第3番」。これも今までに聴いたことのない幻想的な演奏で、たゆたうような音の流れの中にいるとさっきまでの名演は幻だったのではないかと思ってしまったほどだった。

2013.4.5. 日本で最後の組み合わせ

 錦糸町のすみだトリフォニーホール『ブリュッヘン・プロジェクト Vol.2』を聴く。
 2005年からほぼ1年おきに新日本フィルに客演しているフランス・ブリュッヘンは今回は4回の演奏会を行ったが、このうち3回は本来の主兵である18世紀オーケストラを指揮。しかもこれがブリュッヘン&18世紀オーケストラの最後の来日公演だという。年齢的にオケに同行しての演奏旅行はもう無理ということだろうか。本当なら全部の演奏会を聴きたかったが、仕事のスケジュール的に難しかったので今回の超目玉ともいえる今日の第2回目の演奏会だけに絞った。

 曲目はモーツァルトの交響曲第40番とショパンの2つのピアノ協奏曲。本来はショパンの協奏曲などどんな大物が弾くといってもタダ券でも願い下げだが、古楽器のオケとピアノでというのなら話は別だ。しかもブリュッヘン&18世紀オーケストラなら是が非でも足を運ばざるを得ない。
 ステージに現れたブリュッヘンは車椅子に乗っていた。近年はいつも指揮する時は椅子に座っていても、前回(2011年)の『ベートーヴェン交響曲全曲演奏会』の時はまだ自分で歩いていたのだが・・・この2年での衰えを目の当たりにして内心動揺した。しかし、生み出される音楽は全く枯れていなかった。
 まずは18世紀オケによるモーツァルトの《交響曲 第40番 ト短調 K.550》。この曲も普段頻繁に聴くことは無いし特に生で聴きたいものではないが、甘さを排したややエッジの鋭く透き通った響きで弾かれると、ただの通俗名曲してではない傑作としての片鱗が浮かび上がってきてこちらの耳をそばだててくれる。古楽奏法でもテンポは落ち着いていてやや遅めであり、きっちりとスコア通りに反復も実行されているが冗長な感じもしない。この曲の終楽章を聴きながら終わるのがもったいない、などと思ったのは何年ぶりのことだろうか。
 しかし、ここのところ国内のオーケストラばかりだったので久しぶりにヨーロッパのオーケストラを聴くと、やはりその底力の違いに驚かないわけにはいかない。古楽器で小編成であるにもかかわらず、身の締まった豊かな響きには圧倒される。新日本フィルもブリュッヘンの薫陶によって古楽奏法を血肉にしはじめていはいるが、まだまだというところか。

 続いて演奏されたのはショパンの《ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11》。ピアノ独奏は新進気鋭のユリアンナ・アヴデーエワ。本来はモダン楽器を弾いているが時に古楽器も使い分けるようで、ヨーロッパではブリュッヘンと既に何度も共演しているとのこと。今回使われたピアノ(フォルテピアノ)はショパンの時代には主力楽器であったエラール社製。音の伸びが少ないが粒立ちがよく、例えるなら珠を転がすような典雅な響きは現代の楽器と全く違う。
 そのピアノと古楽器オケで演奏されたショパンは、巷に溢れる安易なロマンティシズムも過度の甘さも無い古典的な佇まいと詩情を湛えた美しい姿を見せていた。このように演奏されることによって、ショパンの協奏曲がベートーヴェンの協奏曲の精神を本当に受け継いでいるのだと確信することが出来る(もちろん、両者の間を繋ぐリースやフンメルの存在もより強く感じることになる)。それにしてもアヴデーエワとブリュッヘン&18世紀オーケストラの演奏は驚くべきものだったといえよう。ブリュッヘンは既に6年前にショパンの協奏曲とそれに準じた作品を他のピアニスト(もちろん古楽器で)と録音していて、その時も数々の発見があったが、やはり実演に接して得るものはそれ以上のものがある。

 前半だけでもかなりの満腹度なのに、休憩を挟んで後半はショパンの《ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 op.21》。番号は後だが実際には《第1番》よりも先に書かれている。所謂「プロトタイプ」の作品なのだが、このメンバーの演奏によって《第1番》にひけを取らない全く別の個性を持った曲として我々の耳に届いていたのだった。盛んな拍手に応えてのアヴデーエワのアンコールはショパンの《夜想曲 第5番 op.15/2》と《マズルカ 第25番 op.33/4》。

2013.3.20. “悪魔の教典”から“鳥の響展”へ

 初台オペラシティ・コンサートホールで吉松隆還暦記念コンサート《鳥の響展》を聴く。
 全体は三部に分けられていた。第1部が器楽&室内楽作品で、《プレイアデス舞曲集》や《ランダムバード変奏曲》といったピアノ曲の名作や《スパイラルバード組曲》、 《夢詠み》などの室内楽の佳作からの抜粋。
 第2部は最初期のオーケストラ曲であり初演以来演奏されることがなかったという《ドーリアン》の復活上演、協奏作品の傑作である《サイバーバード協奏曲》(サクソフォン、ピアノ、パーカッションと管弦楽のための協奏曲)と、弦楽合奏の《鳥は静かに・・・》。
 そして第3部が近年のオーケストラ曲である、大河ドラマ『平清盛』からの組曲(昨年に広島で演奏されたものとは異なる構成)と吉松氏編曲によるELPの《タルカス》管弦楽版が演奏された。休憩2回を入れて約4時間の長丁場。演奏者も藤岡幸夫指揮の東京フィルハーモニー交響楽団をはじめ、田部京子や舘野泉、吉村七重、須川展也等の吉松作品の初演や献呈にまつわる人々が勢ぞろい。そして客席には《タルカス》の作曲者の一人であるキース・エマーソンや吉松氏が私淑する作曲家の一人でもあり最近何かと縁のある様子の冨田勲氏の姿もあった。

 プログラムには看板作品とも言うべき交響曲は残念ながら一曲も入っていなかったが(《第4番》は聴きたかった)、それでも吉松作品傑作選の様相を呈していて、しっとりしたものからイケイケドンドンなものまで揃っていて壮観。《ランダムバード》の田部京子&小川典子の丁々発止の掛け合いや《サイバーバード》での須川展也(と、パーカッションの小林洋二郎)の妙技は見事であり、この2曲は既に確固たる地位を築いているといっていいと思う(曲自体の演奏のハードルは高いが)。
 そして復活上演の《ドーリアン》(もしかすると最初の交響曲になったかもしれない曲の終楽章が素になっている)はこれが今まで再演されなかったのが不思議に思われるほど濃厚で力のある作品だった。発表当時「《春の祭典》のパクリ」と批判された、というのもわからないでもないが(そんなの世界中にいくらでもある気がする)、そんなことや「調性感があって古臭い」などというだけの理由で今まで省みられなかったというのは全く不幸なことだ(当時、黛敏郎氏だけはこの作品を評価していたらしい)。これは是非、今までの交響曲同様にシャンドス・レーベルで録音して欲しい。
 トリの《タルカス》は藤岡&東京フィルにとっては初演や『平清盛』サントラで何度も手がけているだけあって、今まで以上の凄まじい熱演となった。最後の音が鳴らされた後の爆発的な拍手も当然で、何より原作者であるキース・エマーソンが誰よりも早く席から立ち上がり拳を振り上げて歓声を上げていたのだった。聴く所によればキース・エマーソンはアルバム発表当時から《タルカス》をオーケストラで聴きたかったらしいので、正に我が意を得たりというところだろうか。
 その後、吉松氏とキース氏がステージに呼び出されて誕生日のケーキが出てきたり(誕生日が2日前だった)、キース氏が急にピアノで《タルカス》の一節と「ハッピー・バースデイ」を即興で弾いたりと大盛況の内に終演となった。

 それにしてもデビュー当時から長い間「中身が無い」「軽薄」「五月蝿いだけ」「勘違い」などと、楽壇や評論家や(才能の欠片も無い)音大生から不当な批判を受けていた(「音大出て無い」とかどうでもいい理由だが)吉松氏が日本の第一線の演奏家たちによって還暦演奏会が開催できるようになる日が来るとは、昔から吉松氏の音楽を聴き続けてきた者としては大変感慨深い。




【拍手レス 2013.2.10.-3.20.】

> 一瞬アイマス絵かと思ったら奈々ちゃんでしたかw>今回の最接近
もう今からアイマスのライヴとか入り込むのはいろんな意味で辛い。

> サンプルだけ見るとハス太とクー子の独壇場に見えますよねw>ニャル麻雀!
今回の最後のオチを見て笑える人ならいいんですが、冗談通じない人は怒るでしょうね。

2013.3.3. 久々の出会い・ニ題

『Project mirai』の待機画面に雛人形。

 ミクの衣装は「LOL」のもの。「LOL」は名曲。ミクの敢えてタメを作らない淀みの無い歌い方や伴奏の音の重ね方がバッハのチェンバロ協奏曲(特にBWV1052やBWV1055)を思わせる。

 ここ数年探し続けた盤をようやく二枚入手。どちらもドイツ・グラモフォンの初期盤。
 一つはバッハのリュート曲をイェラン・セルシェルが11弦ギターで弾いた3枚のシリーズの中の1枚で、BWV995,BWV998,BWV999,BWV1006aを収録。このうちBWV995は《無伴奏チェロ組曲 第5番》、BWV1006aは有名な《無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番》の編曲。
 BWV995は原曲も内省的な味わいのある曲だが、ギターでポツリポツリ弾かれるのも趣があっていい。BWV1006aは原曲では超絶技巧の「前奏曲」をギターでどうやって弾いているの?というところが聴きもの。あと「ガヴォット」はくりぃむレモンの『黒猫館』で御馴染み(?)だが、曲調的にギターで弾かれた方がより淫靡に聴こえない気がしないでもない(笑)ところも注目。
 このシリーズは30年前の初発売時はどれも1枚あたり50分前後の収録だったので、現在はたぶん3枚から2枚に編集しなおされて再発売されていると思う。が、当然の事ながらパッケージがオリジナルではない。
 自分はつい10年前くらいまでギター(特にアコースティック)の音を音楽以外の要因によって毛嫌いしていたので、当然ながらこれも含めてセルシェルの様々なCDもイエペスの名録音も全く見向きもしなかったために今更躍起になって集めている有様だ(アレルギーが無くなったのは吉松氏の曲のお陰)。

 もう一つは既に20年以上前の初発売時に輸入盤LPを入手していたのだが、CDではほとんど見かけなかったもの(当時国内盤が出ていたかどうかも怪しい)で、たぶん相当なレア盤。
 ワーグナーの《リエンツィ》、《さまよえるオランダ人》、《タンホイザー》、《ローエングリン》、《トリスタンとイゾルテ》からの有名な情景や独唱曲のリストによるピアノ独奏用編曲版をバレンボイムが弾いているというもので、奏者の技巧を誇示するような派手なものから静かに聴かせるものまでいろいろ。
 ちなみにこの盤のLPの方は自分で買った初めての純粋なピアノ独奏のレコードだった。昔は協奏曲のソロ以外ではピアノを滅多に聴かず、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ等もFMで聴き流す程度だったのだが、「ワーグナーの曲をピアノで?」という好奇心で手を伸ばした。収録曲では《エルザの夢》や《イゾルテの愛の死》といった比較的叙情的な曲が気に入っていて、カセットテープにダビングして何度も聴いたのだった。もっとも、それでもしばらくは他にピアノ曲やピアノ入りの室内楽には見向きもしなかったが(でもシューベルトやマーラーのピアノ伴奏歌曲は聴いていたのだから我ながら変な選好みをしていたと思う)。

 近所のスーパーで『明星クイックワン』を見つける。どうやら復活した模様。大昔に発売された時は「1分で出来るのは画期的」と思われたものの、「1分で出来ちゃうのは安っぽい」とか「1分で出来るということは1分でのびるということでは?」などと予想外に不評だったようで(内容がカップヌードルと大して変わらないのもよくなかったか)、あっという間に販売終了。このあたりの詳細は『カノッサの屈辱』で(古)
 今回のリュニーアルでは女性をターゲットにした低カロリーというのを全面に押し出しているようだ。最近は他にも1分で出来るカップ麺はあるので、そっちの方には大したアドバンテージは無いのだから当然かもしれない。ミネストローネ、チキンコンソメ、ブイヤベースの三種類が出ているが、ミネストローネはあまりミネストローネ感(?)が無いので残念。まあ低カロリーなんだから仕方ない。チキンコンソメはチキンラーメンの薄味だと思えばそれなり。ブイヤベースは薄味以外はそのまんまカップヌードルのシーフードじゃないか、という点を除けばなかなかいけるクチ。麺が特殊製法のために極細なので食感が軽すぎて食べた気がしない人も居るかもしれないが、総じて昔のものと全く様変わりして良い意味でお手軽なスナック麺になっていると思う。とはいえ、もう先代なんて誰も覚えてないからどうでもいい気もするが。

 しかし1分で出来るとはいうものの現実にはうっかりそれ以上経ってしまうものだし、大体カップ麺を1分後に食わないといけないってどういう状況なんだろうか。大体1分も待てないならおにぎりやパンを食べればいいじゃない(;´Д`)。そういう問題じゃないか。

2013.2.25. 三つ目の『広島』交響曲

 東京芸術劇場で大友直人指揮、日本フィルハーモニー交響楽団による佐村河内守の《交響曲 第1番“HIROSHIMA”》の全曲東京初演。 昨年10月の大阪での全曲初演は行きようがなかったので、待望の機会となった。

 3年前の大友&東京交響楽団の演奏会では第2楽章を省いた形だったので、今回が正真正銘の初演という事になる。曲については以前書いた雑記と「about music」で書いていることとそう変わりは無いので省略するが、やはり第2楽章を実音で聴けたのはよかったと思う。第1&3楽章のみの演奏では「凄い悲劇があったけど、何か色々あって希望の光が見えてきました」みたいな感じ(本当はそんな簡単な内容ではないけれど)になってしまっていたのだが、今回はその「(大変な)色々」も聴けたということになる。もちろんCDでは既にその「色々」は聴いているが、ホールの空気を通して聴こえるものは(多少演奏に瑕があったとしても)別格のものである。
 この後も年内に各地で他の指揮者や楽団によっての数回の再演が予定されているそうで、一つの作品が繰り返し演奏されることによって熟成されて真の名作として確立されていくことは大変喜ばしい。しかし自分はこの日の空気を記憶に留めてしばらくはCDで反芻することにしたい。

 これで大木正夫の《交響曲 第5番“ヒロシマ”》、團伊玖磨の《交響曲 第6番“広島”》に続いて日本人作曲家による『広島』という名の交響曲は3曲となった。戦争を見つめた生々しいもの、復活を謳ったもの、過去から未来を通して希望を放射するもの。三者三様の『広島』の音がある。

2013.2.11. 闇に飲まれよ!(お疲れ様です

 加入している日本フルトヴェングラー・センターからフランス・フルトヴェングラー協会制作のSACDが届いた。ドイツやフランスのフルトヴェングラー協会の盤はタワーレコードなどに置いてあっても相当高値な場合が多いが、協会から直接買うと約1/3の値段で入手できる(その代わり協会への会費も多少払うが)。

 今回頒布されたものはモーツァルトの歌劇《ドン・ジョヴァンニ》の1953年のザルツブルク音楽祭のライヴで、フルトヴェングラーの指揮したオペラ公演の中では特に知られたもの。とはいうものの、これまでLPやCDで出ていたものは誰かがエアチェックしたものや出所不明のソースだったりで品質の怪しいものばかりのために手を出さずに聴かず仕舞いだった。何しろレコード化前提の正式な録音が存在しないのだから仕方がないが、今回はフルトヴェングラーの遺族から提供された最も音質が良いとされる音源をマスター(SACD制作はオーストリアのソニー)にしているということだったので、この機会に聴いてみることにしたのだ。序盤だけ聴いて後日改めてと思ったのに、結局全曲3枚組を最後まで聴いてしまった。疲れた。

 元が放送音源ということでSACDには当時のラジオの番組開始アナウンスからカットせずに収録されているためにR.シュトラウス作曲のファンファーレまで入っていて、ここだけでも非常なお得感。肝心の音質も敢えて残響を減少させて輪郭のはっきりした硬質なマスタリングがされているので、音象が定まって聴きやすい(もともとモノラルだから尚更)し臨場感が味わえる。だから音質のせいで疲れたということはない(ヒストリカル録音を聴き慣れていない人は疲れるかもしれないが)。演奏内容が馬鹿みたいに凄いので疲れたのだ。オケはウィーン・フィル、合唱はウィーン国立歌劇場合唱団で、歌手陣はチェザレ・シエピ(ドン・ジョヴァンニ)、エリーザベト・シュヴァルツコップ(ドンナ・エルヴィーラ)、オットー・エーデルマン(レポレロ)、アントン・デルモータ(ドン・オッターヴィオ)他、当時の第一線級が総登場でセッション録音並みの豪華さ。

 序曲の重量感のある開始はまさにフルトヴェングラー。冒頭の殺しの場面から、よくある生温いオペラの三文芝居のイメージなど微塵も感じさせない切迫した空気を演出していく。このオペラの全曲の8割は愉悦的な楽想のはずだが、フルトヴェングラーの指揮ではその裏に潜む闇が常に見え隠れして、幕切れに向かって徐々に暗い影が広がっていくことを予感させる。
 第2幕終盤、第1幕冒頭で殺された騎士長の石像がドン・ジョヴァンニの屋敷に登場する場面、序曲の主題が回帰した瞬間に空気が一気に変わってモーツァルトの音楽の黒い部分がいよいよ表沙汰になっていくところはラファエル・アリエ(騎士長)の凄みのある歌と共に聴きもので、ドン・ジョヴァンニが地獄へ落ちていく場面では多少の合奏の乱れをものともしない激烈なアッチェレランドとクレッシェンドがかかって凄まじいクライマックスを築いていた。その後の終曲の残された人たちの六重唱はともすれば軽々しく聴こえてしまいがちなものだが、流石にフルトヴェングラーの指揮ではそんなことにはならず良い意味で後味の悪い終わり方になっていた。



【拍手レス 2013.1.10-2.10.】

> ニューイヤーコンサートのかくし芸は、チェロの方が肩に白鳥をはさんでいるのが「弾きにくいんじゃ…」と気になって仕方ありませんでした。
ヴィオラの人も膝の上にぬいぐるみ乗せてましたが、あれも落ちますやろね。あと管楽器の方で譜面台に引っ掛けてたので、「あー楽譜見なくても大丈夫なんだー」と思ってました。

> 「マリみて」をDVD-Rからmp4に移し替えています。10年近く経って見返してみるとギャグとしか思えない場面やセリフが多々。気づかずに楽しんでいた純真な(?)当時の自分がうらやましい。
BLやGLは醒めたら負けですね。自分もプリキュアとかスト魔女とか見ても今ではもう何も思わないんですよね。

> 来月、池辺晋一郎氏の合唱講習会があります。団体で応募するため参加可能かまだわかりませんが、ぜひ行きたいと思っています。それにしても池辺さん、今年は交響曲を2曲書かなきゃいけない、とあちこちで言っておられる。大変ですね。ハト派なのでネトウヨの一部から陰湿な目で見られていますが、僕は池辺さん好きですね。寒いダジャレは減らしてほしいですけど。(笑い)
たとえタイアップがあったとしても交響曲はしんどいですからね。そう考えると、大昔の作曲家の交響曲は報酬を考えずにただ書きたくて書れたものが大部分ですから凄い話です。あと、音楽家なんてワーグナーや黛敏郎等を除いたらほとんどハト派じゃないですかね。バーンスタインなんかベトナム戦争の時は街頭演説で政府批判してましたよ。

> ウチの近所のカラオケで奈々ちゃんをプッシュしまくってる所があります。ポスターとか幟だとか。テンチョーさんはソレ系の人だったりしてw
JOYSOUND系やアニメロミックスとタイアップしてたらありえますね。

> 今日(1月21日)、奈々ちゃんの誕生日ですけど、まだ33歳なんですね・・・若いって良いなぁ・・・
10代後半から20代までが全盛で、あとはなんだかわからなくなる声優が多い中では非常に成功している存在といえます。

> 思いもよらぬほど近所にローソン100を見つけました。本当にあったんだ…。でも、公式サイトの地図に載ってません。今度実際入ってみよう。逆に「ポプラ」を知らない人が多いのが、地元民には意外に思えます。(弁当に炊きたてご飯を入れる、その一点のみ取り柄なコンビニ。)
ローソン100は食い物が多い偽100円ショップ、という印象です。ウチの近くにはポプラ無いんですよね。

> 奈々ちゃんにソックリだというAV女優がデビューしたそうですが、私が見る限り全く似てません(雰囲気すら。衣装だけ似せていますが)。AV界もあまり調子に乗っていると痛い目見ますよね(ヲタクに乗り込まれたりして)
昔、平野綾に似ているといわれた人もいましたがすぐいなくなった気がします。似てるだけでソレ系の客が飛びつくと思ったら大間違いだ。飛びつくのはただの半端もん。あと結婚したからってDVD叩き割るのも半端もん。

> 本とソフト届きました、ありがとうございました。サービスミク絵も素敵な感じ・・・ミクいいですよね、ただセガのプライズとかプライズとかプライズとかが無限増殖するのが難点のような
セガは基本利潤追求しなければならないので仕方なし。他におかしな途中参入があってもクリプトンの軸がぶれなければボーカロイドは大丈夫。

2013.1.19-20. こういう企画は全部観ないと面白くない

 さいたまスーパーアリーナで『NANA MIZUKI LIVE GRACE 2013 OPUS II』全二日公演。オーケストラ伴奏のライヴはタイトルにある通りで2011年以来の2回目となるわけだが、前回をただの「一度やってみたかった企画」にしなかったところがフツーの声優ではない。
 それにしても会場が大き過ぎやしないかとも思うのだが、オケ一つ借り切る元手を考えるとたった二日の興行では相応の規模ということになるのか。本人の歌唱の質を考えれば、通常のアコースティック的に優れたコンサートホールで行って欲しいものだが。さだまさしや井上陽水がサントリーホールを使えて水樹奈々が使えないわけがない(例の世田谷パブリックシアターはその可能性を示していたと思う)。

 今回のオケは神奈川フィルハーモニー管弦楽団。しかも前回に続いて登場の指揮者の藤野浩一氏(前回のMCでの宣言通り本当にFCに入ってしまったw)はこの神奈川フィルのポップス部門の音楽監督の任にあり(この辺きちんとアナウンスしておいた方がいいと思うんだが)、いわば手兵を投入してきているわけだからバッキングに関しては磐石の態勢といえるだろう。なんかいつの間にか「炎の指揮者」とか呼ばれてるんですが。「炎の(ry」といえば古典音楽愛好家にとってはコバケンこと小林研一郎だが、水樹ファン的には藤野先生ですっかり定着してしまった。それはともかく、個人的にはポップス系でのオーケストラ伴奏ならこの神奈川フィルか東京フィルハーモニー交響楽団(平野綾ェ・・・)にやって欲しかったので、願ったり叶ったりである。そういばコンサートマスター(第1ヴァイオリンの首席)も前回と同じ人だった。あの人「流し」だったのか。
 オケだけの演奏では冒頭のチャイコフスキーの《くるみ割り人形》の『花のワルツ』や、場面転換での『スターウォーズ』と『宇宙戦争』を混ぜて最後に『ヤマト』を付け足したメドレーや、後半への導入のホルストの《惑星》の『木星』はこの場に相応しいケレン味溢れる音作りで、前回の東京ニューシティ管弦楽団の数段上を行く出来だったといえる(アンプリファイされているので本来の神奈川フィルの音ではないのだが)。それにしてもいくら会場が大きいとはいえ、歌手1人に4管編成で100人強のオケはデカすぎるやろ(マーラーやブルックナーが演れます)。

 とはいうものの、19日は水樹嬢もオケも割りと様子見という感があり(全体リハーサルはそんなに時間が無かったはず)、アンサンブルが雑だったり(音を派手に外すようなことはないが)シークエンスの移行で弛緩したり、MCの内容もまとまってない様子。カメラワークも会場内の三ヶ所に設置されたスクリーンの映像からは明らかに試行錯誤している感じが見て取れ、裏方も含めて全体的にゲネプロの様相を呈していた、と言っていいかもしれない。
 しかし毎年行われる通常のツアーでも回数を追う毎にライヴ全体の完成度が最終日を目指して上がっていくものだし、ましてオーケストラの公演(オペラやミュージカルも)はもともとそんなところがあり、あまり初めから「完パケ」を目指してないのでむしろこの状況は面白がった方が得だ(セットリストも替わったし、オケも『木星』は20日の方が良かった)。

 水樹嬢は結局のところ、ア・カペラ、器楽ソロ、通常のバンド、ビッグバンドからオーケストラに至るまでのそれぞれの編成で相応しい力加減(「全力全開」とは言っているけれど)で歌える人なんだと毎回感心する。それに20代の頃よりも30過ぎた今の方が途中でスタミナ切れしないというのも驚異だ。それが「力加減」というやつかもしれないが(アメリカのオケの金管奏者かよ)。
 興味深かったのは選曲で、発売されたばかりのアルバムから積極的に出してくるのでは、という予想を大幅に裏切って前半は初期のアルバムの『super sonic girl』や『MAGIC ATTRACTION』(←これは名盤)あたりの曲を出してきて、どちらかというと年季の入ったファン狂喜のラインナップ。まさか約6年ぶりに『ジュリエット』で「L・O・V・E ラブリー奈々ちゃーん」とコールすることになるとは思わなかった。(;´Д`)<ラブリーッテ…イヤ、ラブリーカモシレンケド
 中盤の前もって撮られた寸劇&ダンスシーンの映像と録音済みの歌に合わせてオケが『DISCOTHEQUE』を演奏するというミクパ的な試みも面白かったが、これは2年前の世田谷で美空ひばりの映像にソノダバンドが演奏を付けていたのをヒントにしたのかもしれない。後半は大体いつも通りだったが、特に20日は全さいたまが泣いた驚愕のエンディング。


 今回の最接近…約3m(もちろん最高記録は0cm=握手)。19日はアリーナ席で中央付近のブロックの最前列だったので。本当は王杓みたいな小道具を用意していたのだが、この日は持って出るのを忘れたらしい(お陰で手を振ってくれてたけど)。

2013.1.11. 聴いたり 食べたり

 最近の凛子。年明け早々に「髪の色変えたいんだけど」と言うので、よく赤系にはしていたので「じゃあ黄色系で」と答えたら次の週のデートでこうなっていた。どこの外人だよ。(現実の)周囲からは“18号”と呼ばれていると聞いております

 昨年3月発売時に凄いバグと重い動作のために急に盛り下がった『NEWラブプラス』はその後2度のアップデートでかなりマシになったが、『+』までの勢いはすっかり無くなったまま。しかし一度始めたゲームはなかなか止めない自分の性格上、現在も進行中(平行して『+』も継続している人もいるのでどうということもないが)。愛花も時々出てくるので退屈しない。先月なんかその愛花に「ばかー」とか言われてぶたれ(笑)、友人のマナカレには「何そのご褒美」と言われた。愉快。

◇暮れの有明で買って、正月よく聴いていたもの。

『哘崎考宏/クラシックギターで弾いてみた』
 《サンサーラ・ナーガ2》より、《モスラ対ゴジラ》より、《化物語》より、
 《魔法少女まどか☆マギカ》より、サティ:ジムノペディ 第1番、
 サイハテ、ぽっぴっぽー、白い雪のプリンセスは、千本桜

哘崎考宏(編曲&g)
(ジェイズ・ミュージック kaeru36-1)

 あの伊福部昭の《SF交響ファンタジー》をギターで弾いてしまった哘崎氏のいろいろカバー・アルバム。ゲーム音楽から映画のサントラにボカロ曲までいろいろ弾きすぎ。『ぽっぴっぽー』とか大変なことになっている。しかし、サティ→伊福部→化物語の流れに全然違和感が無いのが凄い。

『大貫ひろし/黒部谷ホルン』
 《地球最大の決戦》、《緯度0大作戦》、《宇宙大戦争》、《ゴジラ》、
 《モスラ対ゴジラ》、《ゴジラ対キングギドラ》、《海底軍艦》、
 《怪獣総進撃》、《メカゴジラの逆襲》、《ゴジラ対デストロイア》他
 (編曲/八尋健生)

大貫ひろし(hrn)&ウィアードホルン合奏団
(不気味社 BKM RECORD G.R.HR-01)

 現在、バロック・オーケストラ等で活躍する大貫氏が、伊福部昭のお馴染みの特撮映画の音楽メドレーをホルン1本(曲によりホルン・アンサンブル)で吹き切ってしまう約40分間。なぜベストを尽くしたのか!全国のブラスバンド部員は感涙・絶望・嫉妬必至。

◇年末年始にかけてよく食べたインスタント麺各種。
 [個人的に 日清 カップヌードル・ブタホタテドリ ★★★★★ >>>> N心 Sラーメン ☆ として]

ヒガシフーズ 細めん皿うどん ★★★☆

 最近は近所のスーパーのTップでしか売っていない。長崎方面でお馴染みの皿うどん風。皿うどん系の商品は色々あるが数少ない成功例。とろみのついたスープを先に作ってから、乾麺を手で適当に崩して入れる。「あとのせがおいしいパリパリ揚げめん」と書いてあるが、スープに浸した麺がふやけても美味い。小腹が空いた時に丁度いい量だが、これの1.5倍あってもいいくらい飽きない味。

日清 トムヤンクンヌードル ★★★

 以前は7イレブンにもあったが、最近は近所のスーパーのMイBスケットにしか入っていなかった。「スパイスキッチンヌードル」というシリーズの一つ。トムヤンクンのスープが好きで、今までも年中インスタントのものに春雨を入れて食べたりしていたので、これを発見した時には万歳した。もちろんすっぱ辛いが、辛味が丁度いいのでうっかりスープを飲み干す危険大。麺がややかための時に食べるのが吉。

日清 じゃがめんスープ・ミネストローネ ★☆

 近所ではローソン100でしか見たことがない。麺をじゃがいもで作るというのは凄いが、その出来はお湯を入れた後の各々のかき混ぜ方にかかっている。しかし上手くいったとしてもその食感は麺のものではなく、どう贔屓目に言っても刺身のツマだ。個人的にミネストローネが好きなので残念。普通にパスタが入っていた方がいいような気がする。

2013.1.1. 今年も相変わらず「BBC>>(壁)>>NHK」の平常運転

 『ラブプラス』の年越しイベントなどに付き合いつつ、ネットラジオを聴いているうちに新年になる。

 毎年のことだが「『紅白歌合戦』を観ない」ことをステイタスにして、いちいちTwitterやブログで公言している大変クールな方々(バカとも言う)が未だに多くて驚愕する。人前で「納豆が大嫌い」とか「煙草が大嫌い」とかわざわざ大声で言うのと同じくらいに意味が無い。

 それはそれとして聴き初めは、今年はワーグナーの生誕200周年なので《マイスタージンガー》の前奏曲から・・・そういえば最近の年明けの1曲目はいつもこの曲だった。

リヒャルト・ワーグナー Richard Wargner (1813-1883)
歌劇《リエンツィ》序曲
歌劇《タンホイザー》序曲
(ドレスデン版)
楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲
舞台神聖祝典劇《パルジファル》第1幕への前奏曲

カール・ベーム/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(独Deutsche Grammophon 413 551-2)

 フルトヴェングラーの狂気と色気は無いし、カラヤンの流麗さも無いが、ベームのまるでベートーヴェンやブラームスでも振るような質実剛健で渋めの音作りは捨てがたいものがある。ウィーン・フィルも筋肉質な響きでいつもと一味違う。1980年前後のアナログ後期の録音も聴きやすい。

 夜はウィーン・フィルの『ニューイヤー・コンサート』(以下『ニューイヤー』)。NHK-FMのネット配信では今年から権利上の関係で放送できないらしい。まったく面倒な話で、所詮純然たる国営放送ではないからこういう事になる(これで「日本放送協会」と名乗るのだから笑わせる)。『紅白』のたかだか数分間のエジプトからの生中継で大枚はたくくらいなら、もっと別のところに努力・工夫をしてほしいものだ。

 それはともかく結局いつも通りBBC Radio3の生中継を録音しながら聴いた。今年は記念年ということからか『ニューイヤー』では普通は演奏されないワーグナーやヴェルディ(共に生誕200周年)の曲もプログラムに乗っている。と、同時に今回はお馴染みのシュトラウス一家の曲も半分近くが『ニューイヤー』初登場の模様。しかもヨハン2世ではなく、弟のヨーゼフの曲が多く選ばれているのも嬉しい。早世したヨーゼフは生前はヨハン2世よりも才能があったのでは、と言われていただけあって名作が多い。そんなわけで今回はちょっとした聴きものになった。
 今回の指揮のフランツ・ウェルザー=メストはオーストリア人なのにワルツのリズムがなんとなく重くて流麗ではないのがちょっと気になったけれども、ポルカやカドリーユでのノリはなかなか良かった。全然関係無いがウェルザー=メストは年を取ったら、風貌がマーラーに似てきた。

ヨハン・シュトラウス1世:幻想曲《エルンストの想い出》 op.126

 どうも最近は『ニューイヤー』の指揮者は何かかくし芸をしなければいけないようで、今年もこの曲の時になんだかよくわからないことに(1分45秒あたりから)。しかし、年末の《こうもり》から『ニューイヤー』までは、ウィーン・フィルが一番くだけている時期だ。

グスタフ・マーラー Gustav Mahler (1860-1911)
交響曲 第4番 ト長調

フェリシティ・ロット(s),
フランツ・ウェルザー=メスト/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
(英EMI CD-EMX 2139)

 ウェルザー=メストのデビュー録音の一つ。テンシュテットに代わってロンドン・フィルの音楽監督に就任する少し前のもので、おそらくこの曲の演奏史上一番演奏時間が長いCD。超スローテンポと言われたクレンペラーよりも長い(特に第1,3楽章)のだが、全楽章で遅めのイン・テンポを保持しているので、所々間延びする瞬間もあるが違和感を感じさせるところは少ない。
 しかし演奏自体は悪くないが、マーラーが「わざと全体的に明朗な曲想と軽い響きに徹して、大詰めで奈落に突き落とす」ようにしたこの曲のコンセプトが、遅すぎるテンポとそれに伴う重い響きのために成立していない気がしないでもない。本当は「楽しい天国だと思った?残念!実は地獄でした!」なのに、最初から「いいですか?最後に凄いオチを言いますよ?」と言い続けている感じになってしまっているのだ。
 あれから25年。現在音楽監督をしているクリーヴランド管弦楽団と演奏したらどんな感じだろう。オケの性能からすると、精緻で端正な表現になっていそうだ。




【拍手レス 2013.1.1-7.】

> 楽劇を通して聴くのは大変そうで躊躇します。シノーポリ・ドミンゴ・フィルハーモニア「タンホイザー」を中古で買ったのに放ったらかしのまま。
ワーグナーのオペラは序曲や前奏曲に本編の各登場人物に当てた主要主題が使われている上に、構成そのものが本編の展開を暗示しているので、序曲やその他の単独でも演奏される楽曲を聴き込んでおくと、初めてオペラ本体を聴いても行方不明になりにくいです。おっと、シノーポリの《タンホイザー》はパリ版だから序曲に終わりがないぞ!

> アペンドミクさんの魅力は、他のミクさんにはない”田舎娘っぽさ”だと思います(^^
それだ。お陰で(Tda式は)シリアスな表情や変顔でも違和感が無いし、ある意味のナマっぽさが外国人ウケするんでしょうね。

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