今月のびっくりどっきりCD
(2004.8.30.)

リヒャルト・ワーグナー Richard Wagner(1813-1883)

交響曲 ハ長調 (1832年稿、原典版)
ジークフリート牧歌 (1870年稿、原典版)

フローリアン・メルツ/チュールゼクス・フィルハーモニー管弦楽団
(独VMS 112)

「若さゆえの過ち」は認めたもの勝ち
史上最大のオペラ作家の一人であるワーグナーの交響曲は1曲(他に断章が1つ)。それがこの≪交響曲 ハ長調≫でワーグナー19歳の作。 若い頃のワーグナーはベートーヴェンの音楽に心酔していて、特に≪交響曲第7番≫を絶賛し≪交響曲第9番≫の校訂を自ら行い、リストのものとは別に ピアノ独奏用編曲版(すげえ弾きにくいらしい)も作成。そして理想の芸術とはベートーヴェンのような求心性の高い音楽が相応しいと信じていた。

そこまで考えていたのだから自らベートーヴェン風の交響曲を書いてみようと思ったのも当然の成り行きではあるが、心酔して研究したからといって いきなりベートーヴェンみたいな曲が書けるわけがなく、ワーグナー初の交響曲はベートーヴェンの交響曲第7番っぽいなんだかわからないものだった。 「やかましい、脈絡がない、くどい」・・・だめじゃん(笑)。
偉大な交響曲作家と呼ばれる人(ベートーヴェン、シューベルト、シューマンや、同時代ならブラームス、ブルックナー)は 例え個々の楽章の構成がハチャメチャでも全楽章通じた一種のドラマツルギー性を持っている。 つまりベートーヴェンらは抽象的な音の世界でも一貫した「気の流れ」を作り出せていたのだが、ワーグナーのこの曲にはそれが無く、 騒がしかったりしんみりしたりする独立した曲が4つあるようにしか聴こえない。交響曲は組曲ではないのだ。

本人も多分実演を聴いて自分の純器楽作品における弱点に気付いたのだろう。この後ほとんど純器楽曲に手をつけずにオペラや声楽曲に専念する。 別にワーグナーがベートーヴェンらに劣っていたわけではなく、向き不向きの話。事実、具体的なストーリーのあるオペラではワーグナーの音楽は 驚くべきドラマ性を持っている。ワーグナーのオペラのほとんどの台本は自ら書き下ろしたものだが単に散文として読むと 誇大妄想のバカ話でしかない文学的駄作であるにも関わらず、音楽が付いて歌として再現されると何人にもうむを言わせぬ説得力を獲得するのだ。 ≪タンホイザー≫や≪ローエングリーン≫での土壇場の大逆転などワーグナーの音楽が無ければ観ている方はとても納得なんかできないと思う。 何しろ「え?そんなことで平和になっちゃうの(救われちゃうの)?」という話なので。

ところでこの交響曲は初演後に改訂されて再演され、ワーグナーの死後1911年に出版された。改訂稿は『銀英伝』のサントラでおなじみのレーグナーの 指揮で録音されていて今でも手に入るが、さすがに改訂稿は整理されていてずっと聴き易い(それでも習作の域を出ないが)。しかし今回採り上げたCDでは改訂前の 原典版が使われていて、しかも19世紀当時の楽器(あるいはその復元)を使用して「できる限りハチャメチャに」演奏されている。 さらに指揮はあのシューマン交響曲全集で大爆発(?)のメルツなのでもう無茶苦茶。金管は強奏しすぎて音割れてるしティンパニは周りにお構いなく ドカドカぶっ叩いてるしで、滅茶苦茶な曲がさらに滅茶苦茶に。しかしだからこそワーグナーが何がしたくて、何が出来なかったのか明らかになるというもの。
余白に入っている≪ジークフリート牧歌≫はワーグナー円熟期に奥さんのコージマ(リストの娘)の誕生日を祝って書かれた佳作。 その頃に生まれた息子ジークフリート(ちょうど作曲中の≪ニーベルングの指輪≫の役名からとった)にちなんでオペラの旋律を転用した 数少ないワーグナーの純器楽曲。愛すべき一品。

しかし、この若気の至りの交響曲によって己の弱点を見出し、それを未来の自分の血と肉にしたワーグナーはやはり凄い人なのだ。 なるほど自分が先に進むためには「若さゆえの過ち」は認めるべきというわけだ。どこかのアニメ監督さんも「服が赤いからシャア」とか 言ってる場合じゃないですよ?


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2004.Same.,Fancy Free