今月のびっくりどっきりCD
(2008.7.26.)


チャールズ・ヴィラース・スタンフォード
Charles Villiers Stanford(1852-1924)
交響曲 第6番 変ホ長調 op.94
交響曲 第3番 ヘ短調 op.28 “アイルランド”

デヴィッド・ロイド=ジョーンズ/ボーンマス交響楽団
(香港ナクソス Naxos 8.570355)


 マーラーも認めた名作と、80年間眠り続けた秘曲。
 イギリスの作曲家で初めて国外でも演奏される交響曲を書いたのはエルガーだったが、別にそれ以前に誰も交響曲を書いていなかったわけではない。スタンフォードの7曲とパリーの5曲はその代表で共にブラームスを規範とした安定した構築感の下に叙情的な旋律を展開する充実した作品を残したが、この二人の先駆者がいなければエルガーの傑作『交響曲第1番』(及びクリフの『交響曲第1番』)は存在しえなかったかもしれない。そしてエルガーの交響曲が広く受容されつつある今こそ、スタンフォードらの曲の真価を改めて考えるべきではないだろうか。

 アイルランドのダブリン出身のスタンフォードはケンブリッジ大学で音楽を専攻し、次いでドイツ留学中にライネッケやキールに学ぶ。帰国後は作曲活動の傍ら、ケンブリッジ大学や王立音楽院の教授を歴任してヴォーン・ウィリアムズホルストといった後々の大家たちを指導した。
 しかしやがてエルガーの音楽が第一次大戦後にモダニズムのあおりを食らって時代遅れだと批判され忘れかけられたのと同様に、スタンフォードの音楽もほとんどが忘却の彼方に追いやられ、辛うじて演奏され続けたのはアイルランド民謡を素にした親しみやすい旋律を持つ『交響曲第3番』だけだった。

 このCDの収録順では後になるが、1887年に書かれた『交響曲第3番』は晩年のマーラーがニューヨーク・フィルに客演した際にイギリス音楽の代表作としてエルガーの『エニグマ変奏曲』と共にプログラムに組んだ曲で、その後のモダニズムの嵐にも耐えただけのことはある名作だ。
 曲はほの暗い序奏で始まり霧の中から冷たい空気に充たされた草原が次第に見えてくるような第1楽章、村祭りの輪舞のような第2楽章と続き、冒頭のハープの一節が郷愁を呼ぶ第3楽章は次第にブラームス風に内省的にそして悲歌の気分に包まれていく。この楽章の頂点ではなんとブラームスが1885年に書いた『交響曲第4番』の第2楽章と同じ音型が現れる。

 ところでブラームスのイギリス嫌いは大変有名でイギリス人を人とも思わず、すでにイギリスでは作曲家として名を上げていたスタンフォード(ブラームスを尊敬していた)が表敬訪問した時も全く相手にしなかった。この楽章の件の部分をスタンフォードによるブラームスのオマージュ(たぶんブラームスの『交響曲第4番』は聴いていただろう)ととらえることもできるのだが、実はこの旋律自体はアイルランド民謡の引用なのである。そうなるとイギリス嫌いのブラームスが何故?という事になる。「アイルランドはイギリスじゃないから」というわけでもあるまい。ブラームスの書いた音型が偶然に民謡と一致したのだろうか?そういえばブラームスとは終生相容れなかったマーラーもこの部分には気付いていたはずだがどう思っていたのだろう。それはそれとしてこの楽章はこの交響曲の白眉で、終盤にホルンによる前述のブラームス風音型を背景に民謡「夏の名残りの薔薇」が木管で奏されるところはなかなかの聴き所。

 話が脱線しすぎたが、第4楽章も見事だ。どこまでが民謡でどこからスタンフォードのオリジナルなのか判らないが溌剌とした曲想は魅力的で特にこの楽章は一度聴いたら忘れられないと思う。中間部で民謡を素にした(と思われる)コラールが金管で現れるところはカッコよすぎて涙が出てくる。コーダはこのコラールが高らかに奏されて、いかにも大交響曲でーすという感じに大見得を切って終わる。

 片時も忘れられることはなかった『交響曲第3番』とは反対に『交響曲第6番』は全く忘れられていた。「偉大な芸術家ジョージ・フレデリック・ワッツのライフワークに敬意を表して」という副題の付いたこの曲はその名の通り1904年に亡くなったイギリス人画家ワッツの追悼のために1905年に書かれ、1907年にスタンフォード自身の指揮で初演され、翌年再演。その後1988年にヴァーノン・ハンドリー指揮アルスター管弦楽団によって録音されるまでの80年間、一回も演奏される事が無かったという。そしてこのCDが史上2種類目の録音となる。

 聴いてみてすぐ解るのは曲自体にネグレクトされるような要因が全く見つからないという事だ。この曲の副題が示す通り、個人的な想い出が作曲の動機になった レクィエム的位置付けだったために演奏が憚られていたのだろうか。しかし追悼の意図で書かれた曲にも関わらず、旋律の親しみやすさは『交響曲第3番』にも 引けはとらない。
 第1楽章はホルンの咆哮と共に始まる跳躍的な音型が特徴の主題や魅惑的なヴァイオリン・ソロが聴き手をわくわくさせる。シューマンの『ライン』あたりを思い出す人もいるかもしれない。第2楽章がおそらくこの交響曲の中心で、冒頭のイングリッシュ・ホルン・ソロの旋律を各楽器が受け継いでブルックナー的な息の長い追想的な音楽を展開する。こんな凄い音楽が長い間聴かれていなかったとは全く残念な話だ。そしてメンデルスゾーン風のごく短いが楽しげなスケルツォから堂々した歩みの第4楽章へと切れ目無く続き、終盤では第2楽章の主題が大きく回帰した後、静かに眠りにつくように終わる。これは忘れられるべき音楽ではないだろう。

 もしスタンフォードの曲を聴いた事が無いのなら、まずこのCDから聴いてみて欲しい。そして次は美しいピアノ協奏曲や完成度は交響曲を凌ぐと言われる6つの『アイルランド狂詩曲』に手を伸ばそう。本当に「聴かずには死ねない」偉大な作品の森が待っている。

■ 参考CD ■

スタンフォード:
 交響曲 第3番
ヘ短調 op.28 “アイルランド”
 アイルランド狂詩曲 第5番 ト短調 op.147

ヴァーノン・ハンドリー/アルスター管弦楽団
(英シャンドス Chandos CHAN8545)


スタンフォード:
 アイルランド狂詩曲 第1番
ニ短調 op.78
 交響曲 第6番 変ホ長調 op.94

ヴァーノン・ハンドリー/アルスター管弦楽団
(英シャンドス Chandos CHAN8627)

 初のスタンフォード交響曲全集であるハンドリー盤もできれば聴き比べたい。特に『交響曲第3番』での推進力に富む指揮ぶりや世界初録音となった『交響曲第6番』での引き締まった表現は流石パイオニアという感じだ。『アイルランド狂詩曲』も併録しているので要注目。特に『第1番』。こんなカッコいい曲が忘れられてたまるものか!



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2008.Same.,Fancy Free