今月のびっくりどっきりCD
2003年の私的ベスト10(3)
(2004.2.8.)

今回は初期ロマン派からさらに古典派後期にさかのぼります。

フェルディナント・リース
Ferdinand Ries(1784-1838)
交響曲 第4番 ヘ長調 op.110
交響曲 第6番 ニ長調 op.146


ハワード・グリフィス/チューリッヒ室内管弦楽団
(独CPO 999 836-2)




不肖・楽聖の弟子、がんばる。
このhpでは何度も取り上げているベートーヴェンの高弟リースの交響曲。亜流だと片付けてはいけない。CPOの取り組んだ、 おそらく史上初となるリースの交響曲全曲録音は最近遂に完結。その中でも≪第1番≫≪第2番≫を収めたCDはお薦めだが、この盤も聴き所は多い。

ベートーヴェンが≪第7番≫や≪第8番≫の交響曲を書いていた頃(1810年代)、弟子や私淑する人々も交響曲を次々に発表していた。 リースもその一人。短期間に8曲も固め書きしたために各曲間のキャラクター差は大きくないものの結構佳作が多い。 ≪第5番≫(実際の作曲順では2曲目だが)で例の「ジャジャジャジャーン」をさり気なく引用しているのはご愛嬌。

ところで今回の2曲だが、≪第4番≫の第1楽章は序奏だけならベートーヴェン級。鋭い弦の響きで始まる悲壮感漂う音楽は次世代に当たる メンデルスゾーンやシューマンにも通ずるような素晴らしいイントロだ。要所要所で聴かれるホルンの遠い呼び声のような斉奏も美しい。
しかし主部で師匠との格差が歴然としてしまう。妙に腰が軽くそれでいてわかり辛い主題をこねくりまわしている感じであまり印象に残らない。 リースの交響曲をずっと聴いてきて感じたのは、この第1楽章の主部と遅いテンポの楽章が小手先の技術や雰囲気だけで終っていて押しが弱いところ。 これはちょっと惜しい(室内楽作品ではあまり顕著ではないが)。
それでも前へ前へと進んでいくような運動性は 多分リースの音楽が本来持っているものではないだろうか。丁丁発止としたこの演奏(チューリッヒ室内管弦楽団はシリーズを通して 素晴らしいアンサンブルと心のこもったいい演奏をしている)のためだけとは断言できまい。そしてこのリースの長所がよく生かされているのは ≪第4番≫の第3楽章(スケルツォ)、≪第6番≫の第2楽章(メヌエット)や両曲の終楽章。特に≪第6番≫の終楽章は師匠の≪田園≫の 第3楽章(農民の踊り)の楽しさをさらに倍加したようなドンチャカ騒ぎで面白い。この楽章だけ楽器が急に増えて(大太鼓、シンバルや トライアングル)賑やかになるのだが、これは師匠も採り上げたこともある当時流行っていた「トルコ音楽」の影響ではないだろうか。

大きな時代の区切りの中で抜きん出た才能の持ち主、すなわち「天才」(他に上手い言い方はないものか)というものは何時の世でもいるものだが、 その強大な光の下にかすんで後世の人々には見えなくなってしまった愛すべき才能の持ち主は少なくない。「忘れられてしまった」とか 「知らなかった」からといって「優れてはいない」と誰が断言できるのか?映画では悪役だった、あのサリエリが(絶対的な価値において) 無能だったなんて、その音楽を聴いたら誰も言えないのではないか?例え眩しい光を放たなくても、巨星とは違った暖かな色合いの光を もたらす星はある。だからこそ蘇る。天才も持ち得なかった「何か」を彼らは持っているのだから。


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2004.Same.,Fancy Free