今月のびっくりどっきりCD
(2009.12.16.)


フィリップ・グラス Philip Glass (1937- )
交響曲 第7番 《トルテカ・シンフォニー》 (2005)

デニス・ラッセル・デイヴィス/
  リンツ・ブルックナー管弦楽団&リンツ・オペラ・コーラス
(米Orange Mountain Music OMM0061)


マイケル・ドアティ Michael Daugherty (1954- )
《メトロポリス・シンフォニー》 (1988-93)
《デウス・エクス・マキナ》 (2007)*

テレンス・ウィルソン(ピアノ)*
ジャンカルロ・ゲレーロ/ナッシュヴィル交響楽団
(香港ナクソス Naxos 8.559635)


 「強いアメリカ」の最後?の砦

 太平洋の向こう側の大きな国は全体としては観れば自分にはどうにも解らないことが多すぎる。それはさて置き(いや置いちゃダメかもしれないが今話が進まないので)、文化的には個人の創作物には未だに注目すべきものがアメリカ(というかアメリカ国民)には多い。昔よく言われていた「強いアメリカ」はまだこの辺だけには有効らしい。

 それまで映画音楽や舞台作品が多かったフィリップ・グラスは1993年にデヴィッド・ボウイのアルバム『ロウ』の音楽を素材とした交響曲《ロウ・シンフォニー》を発表。これが事実上《交響曲 第1番》となり、続いて完全オリジナルで純粋器楽曲の《第2番》《第3番》と続き(第3番は弦楽合奏用)、再びデヴィッド・ボウイをフーチャーした《ヒーローズ・シンフォニー》(「V2シュナイダー」なんて楽章があったら、ちょっと気になるだろ)を手がけ、2000年には12楽章で2時間近くかかる独唱・合唱付きの超大作《第5番「レクィエム, 詩人, 顕現」》(「万有引力」の舞台みたいだ)、その後現在までに《第8番》まで完成させている。そして交響曲は全てが録音されていて(《第7番》は《第8番》より録音が後になってしまったが)、特に《第2番》《第3番》《ヒーローズ》については既に競合盤がある。

 7番目の交響曲である《トルテカ・シンフォニー》は2005年に初演された。紀元前に栄えたといわれている(でも微妙に信憑性が低い)マヤやアステカとも関係が深いトルテカ文明に取材した全3楽章の曲。2009年にはプロムスでも同じくグラスの《ヴァイオリン協奏曲》(カッコいい!)と共に演奏された。バカ受けでした。
 「ところでさー、トルテカって知ってるかい?」という感じにまるでソナタ形式の提示部をいきなり飛ばして展開部から始めてしまうような第1楽章。スネア、ティンパニ、鉄琴を含む打楽器群と金管のユニゾンでリズムが刻まれ、弦が上昇下降を無限に繰り返しているうちに聴き手は別世界に連れていかれる。
 第2楽章ではここに古文書を基にしたと思われる歌詞(意味不明)の呪術的な合唱が加わる。伊福部昭やJ.A.シーザーを知っている人にとっては「キタ━━━(゚∀゚)━━━!!」って感じだ。
 第3楽章は挽歌のような弦の響きに始まり金管の下降音型が楽器を変えて延々と続き、最後に合唱が嘆きの一節をこれまた断続的に繰り返して締めくくる。
 一定のフレーズ、リズムとテンポの緩急の繰り返しのミニマル・ミュージックの典型的手法が、そこから全く遠い位置にあると思える交響曲という欧州の古典的形式になんとうまくハマっていることか(もっともグラス本人は自分の音楽がミニマルだとは認めていない)。が、よく考えてみれば「一定のフレーズ、リズムとテンポの緩急の繰り返し」というのはベートーヴェンが《交響曲 第6番「田園」》で試み、その後シューベルトが《交響曲 第8番「大ハ長調」》で、そしてブルックナーが全交響曲に使い続けた手法なのである。そしてこのCDではそのブルックナーの故郷のオーケストラが演奏しているというオチ。何だろう・・・歴史ってすげぇな(笑)。

 マイケル・ドアティは日本での知名度はまだ低いが(それでも10年前の「誰それ?」状態よりはマシだが)、アメリカの中堅でグラスよりもポップな作風でそのノリや面白さではグラスやジョン・アダムズに引けを取らない。

 1993年に完成した《メトロポリス・シンフォニー》は『スーパーマン』誕生50周年を記念して書かれた曲。委嘱元はあるにせよ、別に映画や雑誌のタイアップでもなんでもないオリジナル作品でよりよって交響曲というところがすごい。全5楽章、40分以上の堂々たる曲で各楽章には『スーパーマン』に関連したタイトルが付けられている。
 第1楽章はレックス・ルーサー。いきなり敵かよ。しかもホイッスルとヴァイオリンのソロだけという交響曲史上前代未聞の開始である。このヴァイオリンのソロがレックスを描写しているらしく、ノリのいいオケが加わった後もそのオケを引き離すがごとく超絶的なソロを展開していく。
 第2楽章はクリプトン星。なぜか「聖しこの夜」の旋律が変形されながら延々と繰り返され、最後はタンゴ風のリズムの中に消えていく。これは終楽章への伏線。
 第3楽章は5次元世界から来たミクシズプトリク。エレジー風に始まったかと思えば急にスケルツォっぽくなったり、なぜかフルートの可愛らしいソロが入ったりとつかみ所がない。最後は拍子木で唐突に終る。
 第4楽章はロイス・レインなのに全く甘くない。むしろピンチ。終楽章は「レッド・ケープ・タンゴ」と題されていて、スーパーマンの最期を予感させるもの。グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律が執拗に繰り返され(このためか初演当時はこの曲は「新世紀の《幻想交響曲》」と評されたらしい)、第2楽章で現れたタンゴのリズムと第1楽章のレックスのヴァイオリンも加わり、遅いテンポで徐々に壮絶なクライマックスに向かっていく。
 この曲には初演直後のデヴィッド・ジンマン指揮ボルティモア交響楽団のCDがあって長らく廃盤で残念に思っていたのだが、タイムリーに新録音が現れてくれて嬉しい限り。演奏もいい。

 ドアティは協奏曲的な作品も多く書いていて、パーカションとブラス・バンドが対決の様相を呈する《UFO》、実質ヴァイオリン協奏曲の《炎と血》などが有るが、この《デウス・エクス・マキナ》も実質はピアノ協奏曲。曲名からも察する事ができるが3つの楽章には鉄道(それも古きよき時代の)に関係する副題が付く。ご多分に漏れず、この曲もソロパートがラフマニノフを凶悪にした感じに超絶的である。しかもピアノの打楽器的な奏法も多用されているので、バルトークやプロコフィエフが好きな人には特にお薦めだ。

 表題はあっても政治的、思想的な主張を表立ってしない。御託を並べずただ音楽そのものを問う。こういうものが作れる人たちがまだ居て、それを目先だけの打算や余計な思惑で仕切ったりしない国はまだまだまともといえるかもしれない。




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2009.Same.,Fancy Free