今月のびっくりどっきりCD
2003年の私的ベスト10(9)
(2004.6.5.)
現在、昨年度分新譜からの私的ベストCDを10枚取り上げています。 とはいっても順番通りにランク付けしたわけではないので念のため。 只今正体不明シリーズ。ここでアメリカの女性作曲家登場。要注目。

エイミー・ビーチ Amy Beach(1867-1944)

ピアノ協奏曲 嬰ハ短調 op.45
交響曲 ホ短調 op.32 ≪ゲーリック≫

アラン・フェインバーグ(p/op.45)
ケネス・シャーマーホーン/ナッシュヴィル交響楽団
(香港ナクソス NAXOS 8.559139)

ミューズの祝福を受けたアメリカ人女性の大作
「女にミューズなんか宿らない、本来芸術とは男のものである」とヌケヌケと言い放つ某自称知識人がいた。その御仁はきっとここに挙げた作品を 知らないのだろう。「知識人」なのに。しかしそれにしても戦前でもあるまいにあまりの妄言に呆れてしまう。

古今東西、優れた女性作曲家は存在する。ルネサンスのヒルデガルト・フォン・ビンゲンにはじまり、 ロマン派の時代にはフランスのルイーズ・ファランクやドイツのクララ・シューマン、近代ではイギリスのエセル・スマイスドレーン・カーウィセン。現代ならソフィア・グバイドゥーリナガリーナ・ウストヴォルスカヤ。 菅野よう子、梶原由記や故・岡崎律子を知っている僕らはそんな偏見があるはずも無いが、こういうバカが違う世界には未だにいるのだ。

エイミー・チェニーは少女時代からコンサートピアニストとしてアメリカ国内で活躍し、特にショパンの協奏曲の演奏は完璧と絶賛されたという。 その後彼女は18歳の時に25歳年上のヘンリー・ビーチ氏と結婚し、家庭に入り、そしてビーチ氏に先立たれ、再びピアニストとして復帰する43歳 まで作曲に専念することになる。当時のアメリカ国内(アメリカに限らないが)で女流ピアニストとして活動を続けるのは世間体からいっても困難だったので やむを得ない成り行きであったが、この期間に管弦楽から室内楽、声楽に至るまで多くの優れた作品を生み出し(楽譜は「H.H.A.ビーチ夫人」という 名義で出版)、特にピアノ曲は多くの人々に愛奏されたのだから結果的には本人にも後世の人たちにもラッキーだったのだ。しかし彼女の没後、 作品は急速に忘れられ楽譜も殆どが絶版になるという有様。当時の音楽界の潮流からみれば、基本的にヨーロッパのロマン派の延長線上の彼女の作風は 時代遅れのものとみなされてしまったという事もあるけれど、恐らく最大の原因はどこの国にも根底にあった男尊女卑、「所詮女子供の芸術活動は本物ではない」 という根拠無き通念によるものではないか。ビーチの作品の発掘、蘇演は最近始まったばかり。どれだけ多くの作品が眠ったままなのか、非常に楽しみだ。

ここに挙げられた2つの作品は彼女の生前から広く知られているもので、≪ピアノ協奏曲≫は本人が実際に弾いたり学んだりして吸収したであろうロマン派の 大家たちのエッセンスが惜しげもなく注ぎ込まれた大変美しい聴き応えのある秀作。この種の作品としては珍しく4楽章あり、あのブラームスの ≪ピアノ協奏曲第2番≫を思わせる(スケルツォが第2楽章に置かれているのもブラームスと同様)。しかもピアニストであった自身が弾く事を想定して (実際、初演のソロパートは彼女が弾いた)書かれたものだけあって非常に技巧的、管弦楽パートもダイナミックなオーケストレーションが素晴らしい。

1893年、ドヴォルザークの≪交響曲第9番・新世界より≫が発表されて話題になった。ドヴォルザークはアメリカ民謡のルーツをインディアン伝承の 歌に求めたが、これにビーチは異論を唱えた。そして彼女はアメリカ音楽のルーツはアイルランド民謡であると想定し、それを土台にオリジナルの旋律を編み出して 一編の交響曲を書いた。それがこのアメリカ初の女性の手による交響曲となった≪ゲーリック・シンフォニー≫だ。ゲーリックとはアイルランドのゲール族の事。 「なんでボヘミアから来た外国人に自分達の音楽のルーツを決められなければならないのだ!」という感じのドヴォルザークへの対抗意識満々の曲だが完成度は ドヴォルザークに全く負けていない。しかも全ての楽章のメロディが覚えやすく、だからといって安易な通俗性にも陥っていない。 第1楽章の主題のカッコよさ、第2楽章の室内楽的な精妙さと陽気なスケルツォとが交錯する凝った構成、第3楽章の情感に訴える哀感に充ちた息の長い旋律、 そして山岳地帯の俯瞰を思わせる大スケールの終楽章。コーダ直前でテンポを落として民謡風の旋律が朗々と奏される部分に至ってはドヴォルザークどころか、 ヨーロッパの主だった交響曲作家にも互角に太刀打ちできていると思う。
初演当時は大変な評判を呼んだようで、アメリカ国内にとどまらずヨーロッパ各地でも演奏されたというのに、なぜこんな傑作を埋もれさせておくのか、 世の中ってやつは!さて、この42分の大作を聴いてもなお「女は芸術に無縁」などと言い張れる奴がいるだろうか?


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2004.Same.,Fancy Free