今月のびっくりどっきりCD
2003年の私的ベスト10(8)
(2004.5.25.)
現在、昨年度分新譜からの私的ベストCDを10枚取り上げています。 とはいっても順番通りにランク付けしたわけではないので念のため。 これから最終回までは正体不明シリーズ。今までもそうですか? ところで今回は自分が溺愛する作曲家で。

アーノルド・バックス Sir Arnold Bax(1883-1953)

交響曲 第6番 ハ長調(1935)
交響詩 ≪黄昏に≫(1908)
夏の音楽(1920/32)

デヴィッド・ロイド=ジョーンズ/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
(香港ナクソス NAXOS 8.557144)

孤独な魂が残した黄昏の交響楽
イギリスの代表的な作曲家であるエルガーブリテン、そしてホルストすら正しく認識されていない日本においてその他の作曲家など 文字通り正体不明だろう。7つの交響曲をはじめバレエ音楽や大規模な管弦楽作品、幻想的な合唱曲、宝石のようなピアノ曲を多く残しているバックスも そのうちの一人。

ロンドン生まれでありながら都会の生活に馴染めなかったバックスが心惹かれたのはスコットランドやアイルランドの風土や イェーツなどの詩で知られるケルトの伝説だった。それらにインスパイアされた初期の交響詩は雄大かつ憂愁に充ちた楽想とドビュッシーやラヴェル等に 影響を受けたフランス風色彩を持つオーケストレーションによってイギリス国内でも時折演奏され、その代表格でもある≪ティンタジェル≫ (トリスタン伝説に基づいている)は日本でも演奏された事がある。しかし、人生の後半に固め書きされた交響曲はタイトルを知らずともイメージを描きやすい交響詩と 違って抽象化が強く、さらにはドイツ系の交響曲とは異なった独特な構成によって聴く者の理解を容易に許さない要素が多い(エルガーやヴォーン=ウィリアムズの 交響曲が実際に演奏される事も多くはない日本では今後もバックスの交響曲の演奏はほぼ絶望的だろう)。それでも厳しくも 美しい自然を描いたこれらの作品は(もちろん交響詩も)はどこの国の作曲家も残さなかった音世界を持っている。

≪交響曲 第6番≫は7つの交響曲の中でも≪第4番≫と並んで聴きやすい部類に入るもので、巨人の歩みの如く勇壮な序奏で 始まる第1楽章は闘争的な主部に入ると目まぐるしく楽想が入れ替わり、後半壮絶なカタストロフを迎えたかと思うとスネアドラムの連打で断ち切るように終る。 ここはもの凄くカッコいい。バックスのオーケストラ曲は暗い曲想にもかかわらずカスタネットやタンバリンを使ったラテン的なリズムが支配するという、 ある意味タンゴなどにも通じる音作りが魅力。第2楽章は夜の海の波のたゆたう様や流れる雲を描いているかのような悠然たる表情が印象的だ。
7つの交響曲は全て3楽章構成だが最も特徴的なのが終楽章。通常の交響曲のスケルツォ楽章とフィナーレを一体化した形をとっていて、 この≪第6番≫では、序奏−スケルツォ(−トリオ−スケルツォ再現)−終曲という風に進む。広大な夕暮れの空を思わせる序奏の後のスケルツォ部分では 第1楽章の雰囲気が戻ってくるが、やがて沈静化し終曲へと移る。終曲はバックスの交響曲のみに見られる独特なもので、時に「バクシアン・エピローグ」 とも言われる。この交響曲のエピローグはゆったりと徐々に時が止まり黄昏のほの暗い光の中に溶けていくかのような幻惑的な音楽。マーラーの≪大地の歌≫や ≪第9番≫のように音たちがどんどん遠ざかって消え入るのではなく、目の前で溶けてしまうのだ。この溶けるさまに心を奪われるとバックスの音楽は 急速に身近に感じられるようになるに違いない。
あとの2曲は交響曲よりもわかりやすい。≪黄昏に≫はイェーツの詩に基づく、憂いを秘めた情緒たっぷりの一編。夕暮れの妖精の森を 散策するかのようでもある。≪夏の音楽≫は夏の明るい雰囲気というよりは気だるさを描いているような作品。

バックスは『オリヴァー・ツイスト』等の映画音楽やエリザベス女王の戴冠式に際しての曲を手がけたり、「サー」の称号も得た。しかし一見難解な作品と 厭世的な人となりが災いして生前は一部の理解者を除くとほとんどその作品がフィーチャーされる事もなく、旅先でひっそりと没した。 その時、彼が音に書き綴った多くの妖精や英雄たちには看取ってもらえたのだろうか?

※2003年はバックス没後50年という事でイギリスのシャンドスから交響曲全集も発売されたが、いきなり5枚組は挫折必至なので同時期に出たナクソス盤を推薦。 1枚1000円以下で演奏も良質なので冒険するには手ごろ。


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2004.Same.,Fancy Free