今月のびっくりどっきりCD
特集・2010年の私的ベスト10+α
(2010.7.7.)

 コメントを書く時間が取れずに半年以上経ってようやくまとまりました。2010年に入手したCDより中古盤を除いた約170組の中からの選定(最近は半数近くが旧譜・廃盤の中古です)。繰り返し聴いているものから、恐れ多くて聴けないものまで。順位はあまり関係ないですが、と言いつつも上位3つは固定で。

01. モルダウは無いけれど

ツヴェールズ:
 交響曲 第3番 《我が祖国》

ハンス・フォンク/ハーグ・レジデンティ管弦楽団
(瑞典STERLING CDS-1088-2)
 ベルナルト・ツヴェールズ (Bernard Zweers, 1854-1924) はオランダの作曲家・音楽教師。あまり日本では知られていないが、ロマン派の時代のオランダにはディーペンブロック、ドッパー、ワーヘナール等の優れた作曲家が多く、ツヴェールズもその一人に数えていいだろう。交響曲は3曲残しているが、最も規模が大きくそして生涯最後の管弦楽作品である《交響曲 第3番》は彼の代表作となった。ただし名声は得たものの、長大だったのであまり演奏されなかったらしいが。そのせいかも知れないが、1977年録音にして今頃発売されたこのCDがこの曲の世界初録音となった(おまけにここで指揮しているハンス・フォンクはもう亡くなっている)。

 この時期のオランダの作曲家は大なり小なりワーグナー、ブラームスあるいはマーラーの影響を受けていてツヴェールズもその例にもれないのだが、それはともかくこの曲は演奏の機会が恵まれないのが不憫に思えるくらい力作である。副題の《我が祖国》といえばスメタナの交響詩が思い出されるが、大雑把に言えばそれのオランダ版といったところで、4つの楽章には「オランダの森」「国土にて」「海辺と海原」「首都へ」と題されていて、オランダの自然や町の佇まい、人々の活気といったものが描写されているようだ。もちろんオランダの風土に触れてみなければその内容については深く吟味できないが、そこを無視したとしてもこの作品が曲として美しいことは疑いようもない。

02. かなりファンタスティコです

カゼッラ:
 管弦楽のためのシンフォニア
(交響曲 第3番) op.63
 狂詩曲 《イタリア》
op.11

アラン・フランシス/ケルン西部ドイツ放送交響楽団
(独CPO 777 265-2)

 アルフレード・カゼッラ (Alfredo Casella, 1883-1947) はマリピエロらと近代イタリア音楽の基礎を築いた作曲家の一人。また同郷のヴィヴァルディの作品の校訂・出版や発掘・復元等を手がけた功績でも知られていて、ヴィヴァルディ愛好家にとっては大切な人。同じイタリアの作曲家でも「ヴィヴァルディは同じ曲を600回書き直しただけ」と酷評していたダッラピッコラとは随分違う。ヴィヴァルディを始めとするバロック作品や古典作品の研究の成果であろうか、カゼッラの曲は古典的な構成感に則り、安定感があるが懐古的ではなく、現代的でありつつも聴く者の心を惹きつけるものを持っている。

 4つの楽章から成る《管弦楽のためのシンフォニア》は晩年に書かれた最後の交響曲にあたる。イタリアの風情などというものはあまりなくどちらかといえば抽象的なモチーフによる正統的なシリアスな作品で、ドイツ・オーストリア系の交響曲等と並べても遜色無さそうな、練られた構成とオーケストラの機能を充分に生かしたドライで輝かしい響き、そこにラテン系のリズム感も合わさってとても聴き応えがある。このCDで演奏しているのがドイツのオケだからか、なんだか躁状態のヒンデミットみたいで笑える。特に終楽章は「血沸き肉踊る」という表現がぴったりなほどノリがよく一聴の価値あり。
 併録の《イタリア》はカゼッラの作品ではよく知られたもので、有名なデンツァの《フニクリ・フニクラ》の旋律が何度も現れる親しみやすい曲。

03. 「ああっ女神様っ」みたいな

『ヨウラ・ギュラー放送録音集1964』
 モーツァルト: ピアノ協奏曲 第22番 変ホ長調 K.482
 ベートーヴェン: ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 op.58 *

ヨウラ・ギュラー(p)
ピエール・コロンボ/スイス・ロマンド管弦楽団
ヴィクトル・デザルツェンス/ローザンヌ室内管弦楽団 *
(瑞西DORON DRC 4014)
 ヨウラ・ギュラー (Youra Guller, 1895-1980) は知る人ぞ知る往年の名女流ピアニスト。若い頃は映画女優と見紛う程の美貌で(実際に映画出演のオファーもあったが断り、その話はグレタ・ガルボに回った)同時代の音楽家からはそのカリスマ性・音楽性も合わせて「女神」と賞賛されたという。しかし身辺上のトラブルや病気などで名声の割には録音が少なく、イギリスのレーベルにまとまった復刻録音があるくらいで、今となっては本当に伝説状態。

 そんな折に登場したのが、この1964年の放送用録音の復刻である。当時の放送局の事情でモノラルではあるが、正式なスタジオでの収録なので音質的には問題はなく、この大家の至芸を拝聴するには充分。伴奏するそれぞれのオーケストラ(どちらも老舗)の指揮者は全く馴染みのない人たちだが、ソロの足を引っ張ることもなく立派な演奏でそつなくサポート役を果たしている。ギュラーのソロはどちらも遅めのテンポによる堂々の弾きぶりであり、自信に満ちた力強い打鍵が胸をすく。カデンツァはもはや独壇場で聴いたこともない独特の間合いで別世界に連れて行かれてしまいそうで、流石に「女神」と言われただけのことはある。特にベートーヴェンは他の演奏全てが生温く思えるほどの超名演といっていいだろう。

04. エアチェックして何度も聴いたあの演奏

『テンシュテット/ウィーン・フィル LIVE 1982』
 ベートーヴェン: 交響曲 第3番 変ホ長調 op.55 《英雄》
 マーラー: 交響曲 第10番 〜アダージョ

クラウス・テンシュテット/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(アルトゥス ALT195/6)
 1982年8月29日ザルツブルク音楽祭のライヴ録音で、当時NHK-FMでも放送されて語り草になった名演の記録である。《英雄》はかなり昔から海賊盤で 流布していたが音質が良くなかったので、今回のオーストリア放送協会のオリジナル音源からのCD化は歓迎されよう。

 このコンサートは当初バーンスタインが指揮する予定だったが、体調不良によるキャンセルで急遽代役としてテンシュテットが起用されたという。当時ロンドン・フィルやベルリン・フィルを指揮して名声が高まってきただけあって注目の演奏会だったが、テンシュテットとウィーン・フィルの間で作品の解釈を巡って衝突し、両者は険悪な状態のまま本番を迎えてしまった(誰も仕事を投げなかったのが凄い)。
 しかしここで聴かれる演奏は圧倒的なものである。作品の本質を抉り出そうとアンサンブルの破綻も省みない過激な要求をするテンシュテットと、あくまで節度を保って優美さを死守しようとするウィーン・フィルとの、表現者としての両者のプライドのぎりぎりのせめぎ合いが異様な緊張感を孕んで一期一会の凄演となった。まるで満身創痍で息も絶え絶えのベートーヴェン(終楽章も勝った気が全くしない)と、マーラーのクライマックスでのこの世の終わりのような悲痛な響きはそう簡単に聴けるものではなく、この日が本当に両者の組み合わせの最初で最後になってしまったのは音楽史上でも最大級の損失だと思う。

05. 正しいインテリジェンス

『ガーディナー/ブラームス:交響曲 第4番とそのルーツ』
 ベートーヴェン: 序曲《コリオラン》 op.62
 ガブリエリ: 12声のサンクトゥスとベネディクトゥス *
 シュッツ: 《サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか》 SWV415 *
 バッハ: カンタータ《主よ、我は汝を求む》 BWV150 より *
 ブラームス: 《惜しみなく与えよ》 op.30、《祝辞と格言》 op.109 *
 ブラームス: 交響曲 第4番 ホ短調 op.98
ジョン・エリオット・ガーディナー/
 オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク,
 モンテヴェルディ合唱団 *
(西班牙Soli Deo Gloria SDG 705)
 ガーディナーの古楽的アプローチによるブラームス交響曲全集の完結編。このシリーズの最大の特徴はブラームスの管弦楽曲のみ演奏するという単純な 全集企画ではなく、ブラームスと同時代の作曲家の作品や先人の作品も収録することにより、ブラームスの音楽の志向やルーツを解き明かしていこうというコンセプト・アルバムに仕上げられているということである。

 このCDではブラームスが生涯の規範としたベートーヴェンの曲を冒頭に置き、ブラームスが対位法の研究として取り上げたであろうバロック時代の作品、その成果の一環であるブラームスの声楽曲が並んでいる。そして最後にあたかも集大成のように《交響曲 第4番》が置かれている。この順番で聴くと、《交響曲 第4番》についてCDのライナーノートでよくある「ロマン派の大家ブラームスが晩年に古の技法を使って書いた曲」という解説は、この作品の一側面しか表していないことが解る。特に終楽章のパッサカリアからガブリエリやシュッツの「こだま」が聴こえてくる時、聴き手のブラームスに対する概念はコペルニクス的転回を余儀なくされるだろう。
 ガーディナーのしなやかで透明感があり、時にエッジの効いた演奏もブラームスにまとわり付く「重厚で、しんねりむっつりした」印象を拭い去るのに一役買っている。 カラヤン、バーンスタイン等の雄渾、堅牢、筋肉質なブラームスはもちろん良いけれど、見通しすっきりの優男風ブラームスも悪くないものだ。

06. アニメの嫌いなヤマカンにでもアニメ化してもらおうか

芥川也寸志:
 子供のための交響曲 《双子の星》
*
 映画 《八つ墓村》 より6曲(甲田 潤/編曲)
 映画 《八甲田山》 より4曲

岡 寛恵(語り)&すみだ少年少女合唱団 *
本名徹次/オーケストラ・ニッポニカ
(エクストン OVCL-00415)
 2009年の芥川也寸志 (1925-1989) の没後20周年記念演奏会でのライヴ録音。

 《双子の星》は宮澤賢治の『雙子の星』を素に語り手とオーケストラと児童合唱のために書かれ、1957年にラジオで放送初演された以降は全く演奏されることがなかった幻の作品。星の国で笛を吹いて暮らすチュンセとポウセの双子の兄弟が、ある日ほうき星に騙されて海に落とされ、ヒトデとして生きていかねばならなくなってしまうが、海蛇に助けられて海の王様の計らいで竜巻に乗って無事に星の国に帰って来る、という話が38分ほどで語られる一人オペラのような曲。物語の推移に即した情感豊かな音楽は14の楽章(草稿では15楽章)に分かれているが、全曲は切れ目なく演奏される。時折挿入される児童合唱による『星めぐりの歌』(詞/宮沢賢治)も素晴らしい効果を上げる。
 語り付きの曲というのは《ピーターと狼》(プロコフィエフ)や《象のババール》(プーランク)等、昔から少なからず書かれているが、この作品は例えば現代の《エアボーン交響曲》(ブリッツスタイン)や《ファイナル・アリス》(デル・トレディチ)等と並べてもひけを取らない秀作だと思う。
 カップリングはお馴染み映画音楽からの抜粋。《八つ墓村》で師匠の伊福部昭の《ゴジラ》の動機が聴かれたり、《八甲田山》の主題が実は童謡『月の砂漠』(作曲者は同じ)のメロディからの派生形だった(だから懐かしくもあり、泣けてくる)とか思わぬ発見があって面白い。

 現在の日本の楽壇は同じ国の先人たちの作品にあまりにも冷淡すぎる(硬直した思考しか出来ないスポンサーばかりという問題もあるだろう)。この方面に限ってはある意味国粋主義的でもいいと思う。それに別にどこかの国みたいに「クラシック音楽は日本が起源だ」なんて誰も言わないでしょう?

07. 運命の別れ道の、前と後

ヘルツォーゲンベルク:
 ヴァイオリン協奏曲 イ長調
WoO.4 *
 交響曲 《オデュッセウス》 op.16

ウルフ・ヴァリン(Vn)*
フランク・ベーアマン/
 ザールブリュッケン・カイザースラウテン・ドイツ放送フィルハーモニー
(独CPO 777 280-2)
 ハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルク(Heinrich von Herzogenberg,1843-1900)のことは前にもここで書いたが、生涯の一時期においてブラームスの熱狂的な崇拝者であったため、後世にはブラームスのコピーのような作品ばかり残した印象だけが先行していた。確かに室内楽では偽ブラームスのような作品がないわけではないが、全てがそうではない事は近年リリースされる録音によって証明されつつある。これもその中の一つ。

 当時の花形ヴァイオリニストのヨゼフ・ヨアヒム (Joseph Joachim, 1831-1907) に作品を提供した作曲家はブラームスをはじめとして数多く居たが、ヘルツォーゲンベルクも例にもれずヴァイオリン曲を提供していた。ソナタや管弦楽との協奏的な小品も書いたが、中でも晩年に完成した《ヴァイオリン協奏曲》はその代表作となるはずだった。しかしこの曲はなぜか演奏されずに終わってしまい、2008年に発見されるまで忘れ去られていたのだった。ブラームスのそれとは異なる適度なロマンティシズムと華やかな技巧性を持った充分美しい佳作で、今まで埋もれてしまっていたのは惜しい。
 併録の《オデュッセウス》はブラームスに感化されて路線変更する前の若い頃の作品で、「冒険者たち」「ペネローペ」「キルケの庭園」「求婚者たちの饗宴」と各楽章に副題が付けられたワーグナー風の雄大な交響詩風の大作。こっちの方向に進んでも名は残せたような気もするが、その代わりブラームスとは親交も無く一生敵対することになっていたかもしれない。

08. この選曲はかなりずるい

エルガー:
 オラトリオ 《神の王国》
〜「前奏曲」
 ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 op.61 *
 オラトリオ 《ジェロンティアスの夢》 〜「前奏曲」「天使の告別」 +
トーマス・ツェートマイヤー(Vn)*
アリス・クート(Ms)+
マーク・エルダー/ハレ管弦楽団
(英HALLE CONCERTS SOCIETY CD HLL 7521)
 マンチェスターのハレ管弦楽団の自主制作レーベルで進められているエルガー・エディションの一つ。製作上(売上?)の都合か、流通しているのはCD-Rだが、れっきとした正規盤。ブックレットも活版印刷ではなくオンデマンド出力だが、内容に手抜かりはなくしっかりした作り。

 2010年はエルガーの《ヴァイオリン協奏曲》の初演100周年だったため記念として何枚かCDが発売されたが、派手な技巧を披露する演奏が多い中にあってこの演奏はどちらかといえば作品の叙情性や作曲者の内面を描こうとしているようで好感触である。もちろん技術的な面も問題は無いが、聴こえてくるものは多分に内省的・精神的だ。
 このコンセプトはカップリングにも表れていて、前後に配された曲が2つのオラトリオからというのが素晴らしい。どちらの前奏曲も気高く胸を打つ音楽であるし、《ジェロンティアスの夢》の終曲「天使の告別」はエルガー屈指の名曲。さらにここではエルガー自身が編曲した合唱の無い版で演奏されており(世界初録音)、この美しい曲でアルバム全体を締め括るという構成が心憎い。但し、前述の通りCD-Rなので音質が通常の盤より落ちるのが残念。

09. 死にたくなったら聴くんだ、死ぬ気が失せるから

『アファナシエフ・プレイズ・ショパン』
 ワルツ イ短調 op.34-2 《華麗なるワルツ》,ヘ短調 op.70-2,
 変イ長調 op.69-1 《告別》,ロ短調 op.69-2,嬰ハ短調 op.64-2
 ポロネーズ 第1番,第2番,第4番

ヴァレリー・アファナシエフ(p)
(若林工房 WKLC-7007)
 2009年東京でのライヴ録音で、ショパン生誕200周年記念盤。
 自分にとってショパンとはサティと並んであまり聴く必要を感じない部類の作曲家で(酷)、ことピアノ曲に関しては面白いとか美しいと素直に思えない。おそらくショパンのピアニズム自体に言い様のない後ろ暗さや毒があって、それを自分が拒絶しているのだと思う。その点、ピアノ協奏曲、チェロ・ソナタや歌曲等は他の要素が入ってくるために(自分にとっての)マイナス要素が誤魔化されてある程度聴けている気がする。

 そんな「ショパンどうでもいい派」でもアファナシエフの弾くショパンにはいつも耳をそばだたせてしまうのだ。LPの頃にクレーメルが主宰する『ロッケンハウス音楽祭』のライヴ録音のBOXセットに入っていた2曲のマズルカを聴いた時からアファナシエフのショパンは自分にとって特別だった。では毒消しのような演奏なのかと言えばそうではく、むしろ逆である。「これ毒ですから。死にますよ?さらに増量しますよ?」みたいな演奏。凍りつくような音色とふらつくような微妙なテンポの揺れ。まるで手榴弾を両手に持って地獄の淵を千鳥足で歩くような。ワルツは暗黒舞踏(全然《華麗》ではない)、ポロネーズは絶望の行進曲(有名な《葬送行進曲》より陰鬱)。しかし他の演奏(ポゴレリチとツィメルマン以外)では同じ曲で2分も耐えられないが、この人の演奏なら一日中聴いてても全く苦痛ではない。

10. 全部入りでライス・お新香も付いております

『シューマン: ピアノと管弦楽のための作品全集』
 ピアノ協奏曲 イ短調 op.54,同 ヘ長調,
 ピアノ協奏曲 断章 ニ短調,同 イ短調,幻想曲 イ短調,
 序奏とアベッグによる主題,コンツェルトシュトゥック op.86,
 序奏とアレグロ・アパッショナート op.92,
 序奏と協奏的アレグロ op.134
レフ・ヴィノクール(p)
ヨハネス・ヴィルトナー/ORFウィーン放送交響楽団
(RCA,Sony Music Japan SICC 1366/8)
 シューマン生誕200周年記念盤。シューマンがピアノと管弦楽のための書いた曲の断片を含む全てを収めた充実の内容。有名なop.54以外にもこのジャンルで シューマンが残した作品群は無視するには惜しい佳作が揃っている(《ヴァイオリン協奏曲》のような気が狂ってる曲も無いので安心)。本来は4本のホルンと管弦楽のための曲として知られるop.86や、単一楽章の協奏曲であるop.92、op.134は言うに及ばず、ほぼ全曲スケッチが残っているのにオーケストレーションされずにお蔵入りになった《ヘ長調》や、op.54の第1楽章のプロトタイプの《幻想曲》などはこれを機会にもっと聴かれてもいい。

 さらにこのセットでは後にシューマンの奥さんとなるクララ・ヴィーク (Clara Wieck, 1819-1896) の《ピアノ協奏曲 イ短調》の終曲の初稿をシューマンが加筆したものや、名手なのに極度のアガリ症でほとんど演奏会に出てこれなかったというアドルフ・ヘンゼルト (Adolph Henselt, 1814-1889) の《ピアノ協奏曲 ヘ短調》まで収録されている。このヘンゼルトの協奏曲は、作曲当時あまりに超絶技巧を必要とするために演奏不能と言われていたもので、代わりにシューマンがなんとか弾けるように編曲・修正した版が残されている。現在ではオリジナル版での録音も無いわけではないが、このCDではそのシューマン編曲版が使われている。

+α

『タルカス〜クラシックmeetsロック』
 エマーソン&レイク(編曲/吉松 隆): 《タルカス》
 黛 敏郎: 《BUGAKU(舞楽)》
 ドヴォルザーク(編曲/吉松 隆): 《アメリカRemix》 *
 吉松 隆: 《アトム・ハーツ・クラブ》 組曲 第1番 op.70b
中野翔太(p)*
藤岡幸夫/東京フィルハーモニー交響楽団
(DENON COCQ-84832)
 元芸能人の大臣が自己満足パフォーマンスで行った事業仕分けのために、以降のシリーズが全て潰された『音楽の未来遺産コンサート』のライヴ録音(2010年3月14日)。あの日場違いだと思いつつもオペラシティに足を運び、フルオーケストラ版《タルカス》に感激したロック・ファンの気持ちをどうしてくれるんだ?次はピンクフロイドの《原子心母》とか聴けると思っていただろうに。と、畑違いながらも心情を察してみる。いや、自分も聴きたかった。

 各作品については、雑記に実際の演奏会での記術があるのでそちらを参照されたし。


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2011.Same., Fancy Free