今月のびっくりどっきりCD
特集・2006年の私的ベスト10+α
(2007.7.8.)

遅ればせながら2006年度のベスト10を発表。昨年購入分約300タイトルから、普段のチョイスとは別に「これは」と思ったものを紹介します。 順序は特に意味ありません。あと同様の内容でも1枚に絞れなかったものは並列しました。今回は未知の曲が多く、最低限の情報を提示するために 調べている時間がかかってしまいました(ライナーを解読するのが面倒だったので)。しかし最近は過去の廃盤を買い漁る事が多く、新譜の選定は だんだん苦しくなってきましたが、今回のものは今のうちに是非抑えておきたいタイトルたちです。

01. これが真のハイブリッド・ユニヴァース

山田耕筰:
 長唄交響曲≪鶴亀≫*
 交響曲≪明治頌歌≫+
 バレエのための交響曲≪マグダラのマリア≫

東音宮田哲男(長唄*),東音味見亨(三味線*), 溝入由美子(篳篥+),
湯浅卓雄/東京都交響楽団
(香港ナクソス Naxos 8.55797J)
2005年10月15日、東京芸術劇場での演奏会は日本の音楽史上特筆すべきものだった。作曲&初演以来、幻の存在だった山田耕筰(1886-1965)の 長唄交響曲≪鶴亀≫が蘇演されたのだ。これは自分も実演に接していて、当日の模様や曲については雑記でも書いているし、 当CDのライナーに片山氏の詳細な解説が載っているのでここでは繰り返さない。この日会場では演奏会後に改めてナクソスによる録音が行われることが 発表され、この盤のリリースを鶴首して待っていた人は少なからずいただろう。収録は演奏会の2日後で、セッション録音で各パートが当然バランスよく聴こえるために 作曲者が西洋音楽と日本古来の伝統音楽の間に何を求め、何を目指していたのか、その一端がおぼろげながら見えてくる気がする。ルーツの全く異なる音楽を 併奏させることによって生まれる、軋み、矛盾、混濁、それらが時間経過と共に止揚されていくプロセス、それ自体が長唄交響曲という形態であって、 作曲者はおそらくジャンルを確立しようとしたのではないのだ。コンセプト的に実演に適したものとは言えないし(実際これから再演される可能性も 低いだろう)、その意味からも「録音で創る音楽」という今では当たり前のシステムの最初の例と言えなくもない。この点においても山田耕筰は偉大だった。

続く≪明治頌歌≫もR.シュトラウスの交響詩の流れを汲む楽曲において、近代オーケストラに日本の伝統楽器の音をぶつけるという試みであり、 クライマックス(=明治天皇の崩御)で聴き手は大編成の中から篳篥(ひちりき)の音が立ち上り、辺りを祓うかのごとく響き渡るという場面に出くわすことになる。
アメリカで上演するために書かれ、今では失われてしまったバレエの第2幕から再編された作品である≪マグダラのマリア≫は、やはり東京都交響楽団によって 2004年にバレエとしての復活上演を果たしている。開国から50年も経たずに一人の日本人がこのような壮麗な交響作品を書いてしまっていたとは! 僕らはこれらの功績を知らずに軽々しく『赤とんぼ』や『からたちの花』を語ってはいけないのかもしれない。たぶん。

02. 劣化コピーが本物に変わる時

ヘルツォーゲンベルク:
 オラトリオ ≪キリストの誕生≫
op.90

アレクサンドラ・スタイナー(ソプラノ),バルバラ・ヴェルナー(アルト),
ティルマン・リヒディ(テノール),フィリップ・ガイザー(バス),他
マティアス・ベッケルト/ヴュルツブルク・ヘルツォーゲンベルク管弦楽団,
 ヴュルツブルク・エキュメニカル大学合唱団
(独CPO cpo 777 211-2)
フランスの貴族の末裔として生まれたハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルク(1843-1900)は同時代のブラームスやヨハン・シュトラウス等の ビッグネームの影に隠れ、長らく忘れられていた存在だった。ブラームスに師事し作曲・演奏の研鑽を積んだ以降長年交友関係にあり、 2曲の交響曲、多数の室内楽曲やいくつかの声楽曲を残している。しかし親しい間柄とはいえ、自分にも他人にも厳しいブラームスは ヘルツォーゲンベルクの作品を事ある毎に批判したという。最大の理由は彼があまりにもブラームスのエピゴーネンでありすぎた事である。室内楽作品の どれか一曲でも聴けば判るが、完全にブラームスのコピーでありブラームスっぽいけどそれ以上ではなくプラスアルファが何も無い。 確かに「ブラームス風の何か」が聴きたい場合は全く問題が無い(その意味では3曲のチェロ・ソナタは良作)。コミケで「みつみ美里や西又葵っぽい絵の 新刊なら全部買い」というのと同じ(大雑把な例えだが)。しかしヘルツォーゲンベルクはただの劣化コピーで終わったわけではなかった。

人生の後半生の親友となるテノール歌手であったフィリップ・シュピッタによって、ヘルツォーゲンベルクはバッハの音楽に出会う。 温故知新、それがブラームスのコピーでしかなかった人がオリジナリティを獲得する契機となった。
1894年に作曲者の指揮でテノールのパートをシュピッタが受け持って初演された、このオラトリオは第1部「約束」/第2部「遂行」/第3部「崇拝」 という3部構成・全34曲からなる80分弱の大曲である。
オルガン独奏による短い前奏曲に続く合唱はロマン派風ではなく、むしろルネッサンス音楽の様相を呈していてブラームス的とかドイツ風な、 などという部分は全く見つからない。バッハのカンタータや受難曲を研究したであろう独唱と合唱の組み合わせやナンバーの並べ方も型通りではなく、 レシタティーヴォの部分も数人の独唱が受け継いで歌ったり、合唱の途中で長大なオケだけの間奏を入れたり、合唱の終わりでオルガンが 同じ旋律を受けつぎ、次の曲への橋渡しをしたりと工夫が凝らされている。なかでも第2部中盤の間奏曲で現れ、そのまま次のソプラノとバスの 二重唱(「我が親愛なるヨゼフ」)でもオブリガートとして続く独奏チェロや、第3部冒頭の「羊飼いの音楽」と切れ目なく続く子供たちの合唱は 特に胸に沁みる。キリスト生誕にまつわる民謡を各所に転用しているのも親しみ安さを助けている。全曲の最後を合唱で華々しく、ではなく オルガン独奏だけでしめやかに終わらせ、ただのおめでた音楽にしていないのもいい。

03. 強化パーツは北欧製

モーツァルト(2台ピアノ版/グリーグ編曲):
 ピアノ・ソナタ 第5番,第14番,第15番
(“ソナチネ”)
 ピアノ・ソナタ へ長調
K.533,幻想曲 ハ短調 K.475
グリーグ(2台ピアノ版/作曲者編曲):
 ≪ペール・ギュント≫組曲 第1番
op.46 & 第2番 op.55
ピアノ・デュオ・トレンクナー=シュパイデル
(独MD+G MDG 330 1382-2)
自分が初めてモーツァルトの≪ソナチネ≫を聴いたのは多分ラジオだったと思う。そのあとしばらく間を置いて今度はレコードで聴いたのだが、 「あれ?音が少ないぞ?」と思った。初めて聴いた時はもっとキラキラしていたのに、これはピアニストが悪いの?それとも自分の思い違いか?などと 首をひねったものだが、しかししばらくしてその真相は偶然聴いたリヒテルとレオンスカヤのCDで明らかとなった。 大昔自分が聴いた≪ソナチネ≫は偶然にもこのCDで弾かれている版だったようで、それはモーツァルトの死後50年も後に生まれたグリーグに よって第2ピアノ・パートが追加された『ピアノ・デュオ版』だったのだ。

グリーグはモーツァルトの数多くのピアノ曲から5曲を選び、この編曲を施した。それは原曲には全く手を入れずに伴奏パートを自由に書き加える というものであったが、これはピアノの教授をする際の助奏を目的としたもので、シューマンがバッハやパガニーニの無伴奏曲にピアノ・パートを 追加したものとは違い、演奏会での発表を目的としたものではない。しかし原曲は音が少ない、などと思ってしまうのも当り前で、この第2パートは 全く自然に聴こえる。原曲のフレーズの途中のフェルマータ部分で絶妙の合いの手が入ったり、もともと音が少ない部分では第2パートが ほとんど主役のように弾きまくり、そしてまた上手い具合に原曲のフレーズに主役をあけ渡しているように聴こえたりと、まるでモーツァルトが 「こんな事もあろうかと」などと第2パートのメモを残しておいたのではないかと思ってしまえるくらいだ。 この版は割と有名で前述のとおりリヒテルなどの大物も取り上げているが、グリーグの編曲版全てを網羅した録音は無かったのでこのセットは 待望のもので、正に記念の年にふさわしい。自分も久しぶりに音の多い≪ソナチネ≫を聴く事ができたし、他の曲も面白い(特にK.475と第14番)。

付録は作曲者編曲によるご存知≪ペール・ギュント≫だが、これは快い響きで高級サロン音楽という感じだ。「朝」のピアノで演奏するには 限界ともいえるスローテンポでの空気感や「ソルヴェイグの歌」のしみじみとした情感がいい。
ちなみにピアノ・デュオ・トレンクナー=シュパイデル(イヴリンデ・トレンクナー&ゾーントラウト・シュパイデル)はMD+Gレーベルの 看板ともいえるスーパー・デュオで、これまでもレーガー編曲のバッハの≪管弦楽組曲≫、≪ブランデンブルク協奏曲≫やマーラー編曲の ブルックナーの≪交響曲第3番≫など好事家が狂喜しそうなCDを出している。

04. 演奏が曲を蘇生した好例

モーツァルト:
 ヴァイオリン協奏曲 第3番 ト長調
K.216
 ヴァイオリン協奏曲 第4番 ニ長調 K.218(“軍隊風”)
 ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ長調 K.219(“トルコ風”)

アンドリュー・マンゼ(ヴァイオリン&指揮)/イングリッシュ・コンサート
(米ハルモニア・ムンディ harmonia mundi usa HMU 907385)

モーツァルト:
 ヴァイオリン協奏曲 第1番 変ロ長調
K.207
 ヴァイオリン協奏曲 第2番 ニ長調 K.211
 ヴァイオリン協奏曲 第3番 ト長調 K.216

ファビオ・ビオンディ(ヴァイオリン&指揮)/エウローパ・ガランテ
(英ヴァージン Virgin Classics,EMI 0946 3 44706 2 9)
モーツァルトにとってヴァイオリン協奏曲はあまり重要なジャンルではなかったようで、これらの曲もたまたま近くに名人が居たからとか知り合いが 弾くので、と言う理由から成立したものだ。実際、モーツァルトらしいトリッキーな部分があるものの、概ね簡素に書かれているために余程才気に 富んでいるか感情豊かな演奏でないとどうにも聴けない曲たちと言わざるをえなかった。 しかし記念の年になぜか凄い演奏が2枚も登場。個人的にいきなりヘビーローテーションとなってしまった。双方共に名うての独奏者の弾き振りによる 古楽器団体によるものだが、恐ろしく即興性に富んだ、まるでジャムセッションのような痛快極まる演奏が展開している。

マンゼは古楽器演奏では有りがちなせせこましい表現は皆無で、流麗で表情を次々に変えて飽きさせず、時折の即興も楽しい。名人揃いの イングリッシュ・コンサートもソロに絶妙の合いの手を入れ、胸がすく思いだ。特に≪第5番≫の終楽章のトルコ風音楽を模した中間部での、 まるで近代奏法のような強烈な弦のピツィカートは最大の聴きどころ。
一方のビオンディの方はヴァイオリン協奏曲のルーツをさかのぼった結果、よりバロック寄りの解釈で迫った鮮烈な演奏だ。元々ヴィヴァルディの 演奏で一世を風靡しただけあって、真っ青な雲ひとつ無い空にある太陽のような輝かしい音色でドイツ・オーストリア色など微塵も無い。しかし、 曲が曲だけにこの表現は全く妥当に思えてしまう。伴奏のエウローパ・ガランテは解釈に準じて通奏低音も加え、なんとフォルテピアノと ギターまで動員していてこれが非常に効果的に響く。≪第3番≫のようなモーツァルトがテキト〜に書いちゃった(第1楽章は歌劇≪牧人の王≫の中の アリアの旋律と同じ)ようなアッパラパーな作品から極上の音楽が引き出されているから凄い。さらに何の特色もない様に思えた初期の2曲が、 なんとも愛らしく魅力的な音楽に変身している。「目からウロコ」とはこの事だ。

05. 楽聖の高弟は伊達じゃない

リース:
 ピアノ協奏曲 変イ長調
op.151 ≪ライン川への挨拶≫
 ピアノ協奏曲 ハ長調
op.123

クリストファー・ヒンターフーバー(ピアノ),
ウーヴェ・グロット/ニュージーランド交響楽団
(香港ナクソス Naxos 8.557638)
ベートーヴェンの支持者であり弟子でもあったフェルディナント・リース(1784-1838)は一時期はベートーヴェンの伝記の中で時折現れるだけの 存在であったが、近年では数多く書かれた作品群が顧みられるようになり、録音も増えてきた。CPOレーベルでは交響曲全集も完成し、 現在も室内楽を中心に録音が進められているが、今度はナクソスがピアノ協奏曲全8曲(番号は付けられていない)の録音を開始した。 リースはあまりにもベートーヴェンに傾倒するあまり、その作品の大半が「偽ベートーヴェン」ともいうべき内容で、ベートーヴェンも生前 「奴はあまりにも俺の真似をしすぎる」と苦言を吐いていたという。リースなりの工夫が凝らされている交響曲でも「ベートーヴェンのコピー失敗」 みたいなところが見受けられるが、しかしシリーズ第1弾のこのCDに収められた2曲のピアノ協奏曲を聴くとリースがただの劣化コピーではなかったことがわかる。

op.123はリースがベートーヴェンの下での修行も一段落した1806年の作品で、師匠のピアノ協奏曲の≪第1番≫≪第3番≫あたりの影響がもろに見えるが ピアノの名手であっただけに技巧的なフレーズも多くちりばめられて、時折管弦楽パートではベートーヴェンにはないロマン派風の表情も見せている。
op.151は1826年、ピアニストとして長く滞在したロンドンからドイツに戻ってきた際に書かれた後期の作品。この曲でリースはモーツァルト、 ベートーヴェンの技術を受け継ぎ、(フンメルと共に)後世のショパンやライネッケ等のロマン派協奏曲への橋渡しとなったであろう新しいスタイルを 確立している。一聴、華やかだがしっかりした構成感もあり、管弦楽の響きも立派なので実演でも映える作品だと思う。これはもうベートーヴェンの 劣化コピーなどとは言えまい。来日した事もある(自分が実演に接したのは近代作品だったが)ヒンターフーバーのピアノは華麗で楽しそうだし、 ニュージーランドのオケも大健闘。残りの6曲のリリースが楽しみだ。

06. ボヘミアからやって来たダークホース

カリヴォダ:
 序曲 第12番 ニ短調
op.145,交響曲 第3番 ニ短調 op.32
 クラリネットと管弦楽のための序奏と変奏曲 変ロ長調
op.128*,
 ホルンと管弦楽のための序奏とロンド へ長調
op.51+  

ディター・クレッカー(クラリネット*),ロドヴァン・ヴラトコヴィチ(ホルン+),
ヨハネス・メージュス/ハンブルク交響楽団
(独MD+G MDG 329 1387-2)
ヨハン・ヴェンツェル・カリヴォダ(1801-1866)はプラハ出身。若くしてドナウエッシンゲンの宮廷楽団の音楽監督となり、その座に 43年間就いていたが、この間に7つの交響曲をはじめとする様々なジャンルの作品を残した。初期はこの年代の作曲家の例にもれずにハイドン、 モーツァルト、ベートーヴェンの影響が強いものの、中期以降は協奏的作品などで認められるように通り一遍の形式にはとらわれない独自性を獲得していった。 所謂順調な大器晩成タイプで作品番号が後になるほど作品の完成度は高い。フンメルやチェルニーと並んで古典派からロマン派への 橋渡し的存在として要注目の作曲家かもしれない。

≪序曲第12番≫は、とある声楽作品の序曲として演奏されたがスケールが大きく劇的でしかも手堅くまとまっている。演奏会での「つかみ」には かなり効果的だ。続く2つの協奏曲風の小品はそれぞれの楽器の特性を生かした華麗な作品で、ソロの名人芸が聴く者を一時も飽きさせない。 これまた気が利いた曲たちだ。
カリヴォダはそのキャリアの初期の段階で交響曲という形式に見切りをつけてしまったが、その中でも嵐が巻き起こるような第1楽章で始まる ≪交響曲第3番≫は当時は評価の高いものだったという。第2楽章の弦と木管の静かな対話や、メヌエットと題されているものの実質はスケルツォの 第3楽章はメンデルスゾーンやシューマンを予感させるロマン性が濃厚で聴き応えは充分だ。モーツァルトの有名なト短調交響曲の終楽章の フレーズが引用される第4楽章も面白い。

07. 匠の技に熱狂してみる

ハイドン:交響曲 第100番 ト長調 Hob.I/100 ≪軍隊≫
ハイドン:交響曲 第101番 ニ長調
Hob.I/101 ≪時計≫
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容*

オイゲン・ヨッフム/
 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団,ロンドン交響楽団(*)
(英BBCミュージック BBC Music BBCL4176-2)
ヴァントなどと並んでブルックナー演奏の権威でもあったヨッフム(1902-1987)は職人肌指揮者らしく古典派や現代作品も過不足なく こなす仕事ぶりで、そのどれもがひとかどの秀演だった。没後に発表された数々のライヴ録音もなかなか味わい深いものが多いし、意外にも 「燃える」ものがあるので聴き逃せない。「ヨッフムには名盤など一枚も無い」と言い切る人もいるが、その人は一体何を拠り所に音楽を 聴いているのか甚だ疑問だ。

さて、これはロンドンでの客演の記録で、BBCのアーカイヴからCD化されたもの。音は少々飽和気味でフォルテでは歪むところもあるが概ね良好。 ヨッフムは同じ時期にハイドンの≪第93番≫から≪第104番≫までの『ロンドン・セット』全12曲をこのロンドン・フィルと録音していて、モダン・ オーケストラにおけるハイドン演奏としては今も評価が高い。1973年のライヴでのこの2曲も基本的には録音と同じ解釈のものだが、やはりライヴならではの 押しの強さや即興的なアクセントが感興を呼ぶ。古典美を重んじながらも、どっしりとした手ごたえのある音作りに聴衆も満足げに 拍手を送っている。
さらに素晴らしいのは1977年のヒンデミット。この作曲家のドライな音作りはロンドン響の優れた合奏力に適している。ヨッフムも 本国ドイツでは何度も取り上げているであろう同時代を生きた作曲家の作品を前にノリに乗った様子。第2楽章でのスウィング感もなかなか(これは意外)。 大見得を切る第4楽章もしっかりキマって、終演後の聴衆の歓声には聴いているこっちまで嬉しくなってしまう。

08. やっぱり伝家の宝刀は無敵だった

エルガー:
 交響曲 第1番 変イ長調
op.55
 演奏会用序曲≪南国にて≫ op.50*
エイドリアン・ボールト/BBC交響楽団
レナード・スラットキン/BBC交響楽団(*)
(英BBCミュージックマガジン BBC Music Magazine BBC MM269)

エルガー:
 交響曲 第1番 変イ長調
op.55
ベルリオーズ:
 序曲≪リア王≫,歌劇≪ベアトリスとベネディクト≫序曲

コリン・デイヴィス/ドレスデン・シュターツカペレ
(独プロフィル Profil CD PH05040)
2007年の生誕150周年を前にイギリスのエドワード・エルガー(1857-1934)の代表作に最高級ともいえる演奏が2種類もCDとなって登場した。一つは 往年の名指揮者ボールトが生涯最後にプロムスに出演した際のライヴ録音(1976年、ボールトは87歳)で、11年ほど前にもBBCが限定発売した プロムス100周年記念BOXにも収められた事があり、この曲でも屈指の名演奏と言っていい。
ボールトはホルストの≪惑星≫の初演者で、パリーやヴォーン・ウィリアムズのエキスパートということが知られているくらいで、指揮者としては 味も素っ気もない変哲のない人のように思われている(グレン・グールドなどは無能呼ばわりしている)事が多いのだが、このCDを聴けばその評価が 当てにならないことがわかるだろう(そうでなければノリントンのような才人を輩出するわけがない)。とても87歳とは思えない きびきびした指揮ぶりでテンポもかなり速く、ことによるとこの曲の演奏史上では作曲家自身の指揮によるものと並んで最も演奏時間が 短いものかもしれない。第1楽章展開部での雄渾な表現、第3楽章の正に「ジェントリー」な音楽は決してボールトが「何もしない」人ではない証拠となろう。 高揚した終楽章コーダの最後の一撃は老匠の乾坤一擲、間髪入れず沸き起こる聴衆の熱狂的な歓声も納得である。最近は国籍を問わず様々な指揮者が エルガーの作品を取り上げるようになった。しかし音楽に国境は無いとは言うけれど、エルガーの懐の深い演奏となるとどうしてもイギリスの指揮者に 敵わない気がする。日本人しかド演歌を歌えないのと同じように。
併録の≪南国にて≫は2002年のプロムスでのスラットキン指揮によるもの。アメリカ人だがエルガーの主要オーケストラ作品を録音しているだけあって、 なかなか良い演奏だ。しかし、このCDは雑誌の付録のために今となっては入手困難。外資系のCD店でバックナンバーを見かけたら即入手!

もう一つは現在のイギリスの名匠コリン・デイヴィスがドレスデン州立歌劇場の音楽監督をしていた頃のライヴ録音(1997年)。この頃デイヴィスは オペラでもオーケストラ作品でも充実した内容の録音をフィリップスやRCAに残しているが、今やほとんどが廃盤で全く宝の持ち腐れである (ベートーヴェンやシューベルトの交響曲全集を見かけたら是非聴いて欲しいところだ)。
ところでエルガーは同時代のマーラーやR.シュトラウスと並び称されるほどの管弦楽法の達人だったが、後の世代のヴォーン・ウィリアムズ等とは 異なり、どちらかと言えばドイツ・ロマン派風の響きを持っているために実はドイツのオーケストラとは相性が良い。しかも渋い響きのドレスデンの オケによる演奏ならば悪くないだろう、という予想が出来ないわけではないが、これがその予想をはるかに越えた美しい演奏だった。デイヴィスは ドレスデンの地位を辞した後、ロンドン響とエルガーの交響曲を録音しているけれど、≪第1番≫に関してはこちらのドレスデン盤の方を 上にしたい。併録のベルリオーズもデイヴィスの十八番だけあって素晴らしい。フランスのオケのようにキラキラしたところはないけれど。

09. 「暗黒交響曲」の奥底に潜む光

ペッタション:
 交響曲 第12番≪広場の死≫


マンフレート・ホーネック/スウェーデン放送交響楽団,
 スウェーデン放送合唱団,エリック・エリクソン室内合唱団
(独CPO cpo 777 146-2)
『無限のリヴァイアス』というアニメを覚えているだろうか。番組中、リヴァイアスに敵のヴァイア艦が迫ってくる場面やあるいや艦内での凄惨な諍いの 場面ではいつも神経を逆なでするような、不穏な空気を作り出すようなBGMが流れていた。乱暴な例えだが、そんな音楽がさらに重く延々と続くのが スウェーデンの孤高の作曲家アラン・ペッタション(1911-1980、ペッテションともペテルソンとも呼ばれる)の音楽である。中でも残された15曲 (≪第1番≫は破棄、≪第17番≫は断片)の交響曲では(作曲者の不幸な生い立ちも大きく影響しているのは疑いようもないが)孤独と絶望に直面した 人間の行き場のない怒りが爆発している。不安を煽るように弦がリズムを刻み、虚ろに木管が鳴り、空気を切り裂くように金管が叫ぶ。まるで葬列の 歩みの様なスネアドラム。そして引き付けを起こしたような全合奏のフォルテシモ。「お前の苦しみや悩みなど大した問題ではない。その程度で 心が折れるくらいなら、早くこの世界から退散するがいい。」と言われているようで正に取り付くシマも無いのだが、その暗黒から聴き手が何を考えて 何を汲み取るかでペッタションの音楽の価値が大きく変わってくる。

ところで≪交響曲第12番≫は1970年代にウプサラ大学創立500年記念祝典のために作曲された。チリの左翼詩人パブロ・ネルーダによるレジスタンス運動に 巻き込まれた労働者の虐殺を題材とした詩のスウェーデン語訳を用いたペッタション唯一の声楽付き交響曲で、切れ目無く演奏される9部分から成る。 独唱は無く合唱のみで歌われるが、ペッタション独特の管弦楽の響きを伴うと、それは抑圧された人々の声無き叫びや亡者の声となって聴く者を 圧倒する。しかし人間の声というのは有難いもので如何に悲痛な内容だとしてもある種の「温かさ」が感じられるから不思議だ。 ペッタションの交響曲は≪第7番≫(アンタル・ドラティが初演して大評判となった)や≪第8番≫が代表作と言われているが、もしかすると 一番聴きやすいのはこの≪第12番≫かもしれない。終結部はペッタションの交響曲には珍しい、ある種の希望が見えるような輝かしいものだ。 それが手放しで喜べないものであることは言うまでも無いが。

10. 物凄い勢いの曲の物凄い勢いの演奏を物凄い勢いで推薦する

ヴィラ=ロボス:
 ブラジル風バッハ 第7番
 ブラジル風バッハ 第9番(弦楽合奏版)
 ブラジル風バッハ 第9番(オリジナル無伴奏合唱版)*
 ブラジル風バッハ 第8番

ロベルト・ミンチュク/サンパウロ交響楽団,サンパウロ交響合唱団(*)
(瑞典BIS BIS-CD-1400)
スウェーデンのBISレーベルで進行中の≪ブラジル風バッハ≫シリーズの2枚目。タイトルだけ聞くとなんだかラテン風味の似非クラシックでも 想像してしまいそうだが、さにあらず。エイトール・ヴィラ=ロボス(1887-1959)がバッハの作曲理念を核とし、自国ブラジルの気質・精神を 純粋な管弦楽曲に結晶させた、高密度の作品群だ。 深く青い夏の空のような輝かしいオケ響きの≪第2番≫≪第4番≫と洒落たピアノ協奏曲風の≪第3番≫を収めた1枚目も面白いが、今回のCDには 全9曲の中でもより凝縮された表現の作品が収められているため、この作曲家の真髄ともいうべきものに触れられると思う。

≪第7番≫≪第8番≫は共に大編成のオーケストラのために書かれ、プレリュードで始まりフーガで終わる4楽章構成で規模も長さも似ているので 兄弟関係ともとれる(ベートーヴェンの≪第7番≫≪第8番≫を思わせる)。どちらも後半2楽章では様々な打楽器が駆使されて圧倒的な高揚を見せるが、 特に≪第8番≫の第2楽章の深く瞑想するような部分は心に残る。 ≪第9番≫は≪第5番≫≪第6番≫と共に規模の小さい曲で形式的にはまるでバッハのオルガン曲だが、その内容は一筋縄ではいかない。オリジナルは 歌詞の無い無伴奏の混声合唱のために書かれたものだったが、あまりにも難しく演奏不能だったために代案として弦楽合奏の版が作られ、初演は それで行われた。未だに録音でも弦楽合奏版の方が多いが、このCDでは弦楽合奏版と共にオリジナル版が入っている。一度聴けば納得、 これは下手な合唱では全く音楽にならない。そしてここでは作曲者の母国の合唱団(指揮は日本人女性!)が大健闘している。

+α. ありがとう、そしてさようなら

クリア・オア・クラウディ〜リゲティ・ドイツ・グラモフォン録音集成

ピエール=ロラン・エマール(ピアノ),
ラサール弦楽四重奏団,ハーゲン弦楽四重奏団,
クラウディオ・アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,
ピエール・ブーレーズ/アンサンブル・アルテコンテンポラン,他
(独ドイツ・グラモフォン Deutsche Grammophon 00289 477 6443)
自分にとってジェルジー・リゲティ(1923-2006)はおそらく意識して聴いた最初の現代音楽の作曲家であり、その後いろいろな現代作品を聴く上で 常に基準としていた。それは今でも変わらず、故にいかに現代作品でも「ウタゴコロ」がないとダメ、と考えている。

現代音楽の録音にあまり積極的でない(売れないもんな)ドイツ・グラモフォンもハンガリーの大家リゲティの作品は結構録音している。 これは追悼盤として出された4枚組のアンソロジーでほぼ作曲年代順に主要楽曲が網羅されている徳用盤。前衛音楽の旗手として最高に尖がっていた頃の 室内楽はラサール弦楽四重奏団やコンタルスキー兄弟が担当し、いまだに訳わからないけど面白すぎる奇天烈な作品≪アヴァンチュール≫や晩年の 過激ではないものの絶妙な音色感覚の凄い協奏曲作品はブーレーズの精度の高い演奏で聴け、映画『2001年宇宙の旅』(終盤の木星の辺り)で 有名になった≪アトモスフェール≫はなんとアバド&ウィーン・フィルの場違いなほど美しい(笑)演奏が収録されている。 これらを聴くとリゲティの音楽が凡百の「前衛」作曲家と比べてどれだけ図抜けた美しさを持っていたかわかるだろう。


新譜を選ぶのは大変と言いながら、今回も落とした有力盤は少なくありませんでした。ロイド=ジョーンズのアルウィンの交響曲集も2005年の ピアノ協奏曲に続く好演。BBCからヨッフムのハイドンと同時期にリリースされたカーゾンのモーツァルト&ディーリアスのピアノ協奏曲や、 現代作曲家でもあったマデルナが指揮するマーラーの≪交響曲第9番≫も非常な名演だったので是非聴いておきたいところです。あとCPOから出た R.シュトラウスの愛弟子と言われたビショッフの≪交響曲第1番≫は思わず「残念賞!」(byあずまんが大王の木村先生)と叫びたくなるような ぐでんぐでんの曲で、自分の中では今のところ「世紀の大失敗作ナンバーワン」ですw。


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2007.Same.,Fancy Free